バハーイ教 | ||
同じ無差別主義といってもバハーイー教は「神」のキリストも釈迦もモーゼも啓示者、シャーマンのようなものと考えるようです。魂の思想としては唯一絶対神教に属しているのですが、19世紀後半に誕生して進化論の影響を受けているのか、魂の差異には発達段階ということを考えているようです。ムハンマドの教えは発達段階の低い教えということでしょう。イスラム教徒が怒るわけです。 バハーイー教の歴史は激烈な迫害の歴史と言っていいでしょう。それが現在も行われているといいます。イスラム原理主義が敵視するのは、男女平等を唱えるということもあるでしょうが、ムハンマドを最後の予言者とする信教の根幹に反しているからと思われます。バハーイー教の前身、ハーブ教の教祖が処刑されたことでは、このたびの東日本大震災の死者よりはるかに多い犠牲者を出したのでした。絶対的な権力に逆らってまで信仰を貫いたのは、そこが彼らの絶対の住処と信じたからでしょう。 (自然災害の犠牲者より、人間による犠牲者の方がはるかに多いというこの現実をあなたならどう考えますか) 宗教の違いをいかに乗り越えるかは宗教者にとって大きな問題です。しかし、これは宗教者だけの問題ではなく、人間なら誰でも考えることです。異質なものとして目を背けるのは弱く、敵として排除しようとするのは偏狭、程度の低いものとして哀れむのは傲慢といえるでしょう。 すべてを「一なるもの」からの展開と考えるのが知的で公平な考え方といえるでしょう。シーク教徒に裕福な知識人が多いと言われるのもそのためでしょう。シク、バハーイー、両宗教が世界的な広がりを持っているのは平等・博愛主義であるとともに現実生活的だからでしょう。 |
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