精神的宗教時代 | ||
霊魂の思想において、現代哲学につながるギリシャ思想は欠かせません。まずそれを見てみたいと思います。 |
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古代ギリシャの霊魂観 ギリシャ人の宗教は、よく知られたその神話が物語るようにアニミズム・シャーマニズムといえるでしょう。つまり多神教です。いくつかある神話は祭祀者によってではなく、吟遊詩人によって語り伝えられたというところに特徴があります。それはギリシャ人がエーゲ海から地中海世界全体に広がった都市国家に分散していたからでしょう。吟遊詩人は各地の貴族や名家を廻って、その祖先を讃え歌うなどを仕事としていたと思われます。それによって異境の地で失われがちな民族の魂をつなげていたといえます。そのおかげでギリシャ神話は詩的・芸術的で、哲学的構想を加えられるなど自由で創作性の強いものとなったといえます。 ギリシャの世界創造神話は先進のオリエント文明からの影響が強いといわれます。紀元前八世紀頃のヘシオドスの「神統記」では「カオスからガイアが生まれた」としています。ガイアが天空の神(ウラノス)を生んで、この二人が夫婦になって動植物を生み、最初の神々を生んだといいます。あるいはガイアと共とも冥界の神タルタロスと、愛の神エロスが生まれたともいいます。最初に生まれた神を「母なる大地・ガイア」と考えたところはあまり地中海人的といえないかもしれません。万物のはじめにオーケアノス(海洋)とする説もあるようで、こちらの方がギリシャ的のように思われます。 混沌(カオス)は他の文明世界にもある考え方です。「日本書紀」に書かれた天地開闢説(道教神話からのものでしょう)と同じです。ギリシャ人の世界観は日本と同じような汎神論といえるでしょう。オルペウス教の神話における、オルペウスの冥府くだりはイザナギ・イザナミの物語とそっくりといわれます。オルペウス教にはギリシャ人としては珍しく人間の霊魂の物語があります。ゼウスの子孫であるディオニソスと地底人ティターンの死体を焼いて、できた灰が混じり合って生まれたのが人類であり、輪廻転生するといいます。オルペウス教の神話は多様だといいます。創世神話は水や泥を原初としたり、原初の卵について語られていたり、ヒンズー教的なところもあります。一つの宗教として存在したか疑問です。おそらく偉大な吟遊詩人オルペウスを崇拝する吟遊詩人達が、その土地その土地に合わせてオルペウス的神話を語ったのでしょう。 ギリシャ人の各都市国家には神殿もあり、神職、巫女もいて、祖霊崇拝的のまつられていたようです。しかし同盟のシンボルではあったでしょうが、政治的な支配力はなかったようです。都市間の関係が同盟であって、統一国家における理念としての必要性がなかったからでしょう。しかし大日本帝国の国家神道みたいに不敬罪があり、政治的駆け引きに利用されていたようです。 オルペウス教以外のギリシャ 神話には人間誕生の物語はないようです。しかし魂の不死ということは一般に信じられていたように思われます。昔の日本人と同じように、自分たちを神々の子孫と考えていたからでしょう。自然哲学者も物質や植物、動物の発生などについてはよく考えたようですが、人間の誕生についてはほとんど考えなかったようです。 ギリシャ神話の神々たちには善も悪もありません。豊かさと自由を背景に、アテネの市民は神々と自分たちを同一視して、欲望、快楽、感情の赴くままに行動するギリシャ神話の神々たちを讃えていたでしょう。それゆえ、それを否定するような思想に対しては厳しかったようです。「精神(理性)が万物の原因である」といったアナクサゴラスは不敬罪で罰を受けました。「人間は万物の尺度である」といった相対論者プロタゴラスは無神論者のレッテル貼られて追放されました。「無知の知」によってアテネ市民の生き方、無知と欺瞞を暴いたソクラテスは「国家の定める神々を信じず、新しい宗教を導入し、青年を腐敗させた」という罪で死罪になりました。 それでも貿易で栄えたギリシャ人の思索活動はきわめて自由なものだったといえるでしょう。アニミズム・シャーマニズム的でしたが、霊的というよりむしろ現実的な世界感覚の方が強かったと言っていいでしょう。根源の「一なるもの」からではなく、目の前の現実に対する論理的思考から世界像を作り上げる、哲学という姿勢はそこから生まれたのでしょう。 自然哲学者 ギリシャの思想家たちは世界・宇宙・大自然における霊的存在と自然現象との関係に目を向けました。「水が万物の根源である」といったタレス、「万物の根源は空気、気息である」といったアナクシメネスなど、最初の自然哲学者は、世界は何か唯一のもの、「元素」を根源としていると考えました。 輪廻説を説いたピタゴラスは「万物の根源は数である」としました。ヘラクレイトスは「万物は流転する」ものだと言い、火を変化を生み出す元素としました。パルメニデスは「真に存在するものに変化はありえない」として、変化は感覚によるものだが、迷妄に過ぎないと考えたようです。アナクサゴラスは「元素」は多種多様で、無数の要素(種子)であり、その混合によって多様性が生まれるとしました。レウキッポスとデモクリトスは万物の根源は唯一の「元素」ではなく、形や大きさ、性質の違う無数の物質単位「原子」であるという原子論を唱えたようです。デモクリトスは「魂」を球形の火(熱)の原子と同一と考えたようです。以上の哲学者は変化を起こす原因については語っていませんが、エンペドクレスは火、水、土、空気という四元素を考え、「愛」と「憎悪」という二つの力による結合・分離が変化相の原因であるとしました。つまり「元素」に心的力の存在を見ていたのです。 このように自然哲学者たちは、物質はすべて何らかの「元素」を出発点としていると考えたようです。といっても、「すべては神々で満ちている」とデモクリトスが言ったように、「元素」も「原子」も霊的なものと考えていたように思われます。目に見えるものそのもの、山や岩、樹木などに霊が宿るのではなく、「元素」という霊的質量因が物を形成するのに働くという考え方と思われます。それでは多様な現実とは何か、変化とは何であるか、変化を起こす原因は何であるかということが問題になります。事物がそこから生まれそこへ帰って行く「万物の根源は無限定、無限なもの」を語ったアナクシマンドロスはそれら「元素」の源を理性的な「無限定・無限者」に集約したものと考えられます。そこにはアニミズム・シャーマニズムからの脱却という形も見えています。そしてプラトン、アリストテレスへつながる一元化の方向性も表れています。 プラトン・ソクラテス・アリストテレス 自然哲学者に対して市民的な教養哲学を語るのがソフィストです。ソフィストたちはプロタゴラスのような人間至上主義の考えを持っているようです。現代のヒューマニズムに似ています。ソフィストのような個々の人間の判断を尊重し、人間を万物の尺度とする考え方の欠点は、人間の考え方の違いによる様々な世界観、価値観があって、正不正を判断する基準はなく、なにが真実か分からないということでしょう。プロタゴラスは神の存在も個人の主観であるといいます。人間の価値は社会への貢献でしょう。ソフィストの考え方は民主主義の現代人と同じです。 神を愛し、正義を愛する人ソクラテスは、プロタゴラスを始め、当時のアテネ市民たちの相対論的正義、つまり無根拠で偽善的な言説に疑問を持ち、万民に共通な永遠不変の規範、真実の知というものがあるはず、そういう真実をもたらす真の存在、人間ではない絶対的な万物の尺度があるのではないかと考えたのではないかと思います。そしてアナクサゴラス(最初に理性原理としての精神を発見した人といわれます)の「精神が万物の原因である」という言葉の「精神」(ヌース、叡知、理性的原理)をそれだと考えました。しかしアナクサゴラスの語った「精神」とは、いわば「元素のカオス」から物事を分別し、差異化し、秩序ある世界を作る作用、世界展開の原理としての働きだけのようです。ソクラテスが期待したのは「秩序づけるとは、個々の存在がそれぞれもっとも良い状態にあるように、その位置を定めることである。なぜなら個々の存在がもっとも良い状態になければ全体の秩序もないからである。それゆえに精神は、なぜそれが最適であるのかという、その秩序の基準、真理を持っているはずである」ということでした。いわば差異を超えた理性。すべての差異基準となる「一なるもの」を期待したのでしょう。アナクサゴラスはそうした「精神」の本質については語りませんでした。そこでソクラテスは自らそれを探索しようとしました。それが人間の魂の役目のように思ったので他人に「対話」を仕掛けたのでしょう。そして、それについて自分はまだ知らないし、未だ知っている人はいない、その無知を知ることから始めなければならない。それがソクラテスの「無知の知」ということでしょう。 ソクラテスは魂の不滅を信じていましたし、魂の産婆といわれますが、魂そのものを語ったわけではないようです。しかし、人間の魂は生まれつき善悪正不正を判断する「理性」を備えていると当然のことのように信じていたでしょう。 ギリシャの哲学者で最初に人間の魂そのものについて考えたのは、ソクラテスの精神を受け継いだプラトンでしょう。 プラトンは「理性」につながる「一なるもの」、理性の対象である「真実の世界」、永遠不変の規範となる霊界をイデア界と名付けました。そして対象に応じて生じる人間の魂の働きを、叡知と悟性と信念と想像という四つの状態に分けたといいます。おそらく人間の違いとはこれらの働きの違いによって生まれるということでしょう。また魂にはイデアと重なった部分があるとしました。これによって正不正を判定する基本的なシステムができあがったのでした。プラトンにとってこの世は、いわば「イデア」の影のようなものでした。ソクラテス・プラトンにとって死とは、魂が影の世界から抜け出してイデア界へ行くことだったのでしょう。ソクラテス・プラトンの思想には、感覚界についての考察はないようです。 紀元前4,5世紀は、期せずして洋の東西において、精神主義的世界観の始まりでした。そのうらには貧富の差の拡大、戦争の悲劇と、欲望、感情のおもむくままに行動する権力階級のおごりと堕落があったことはいうまでもないでしょう。それは人間の欲望、感情、すなわち醜い心によるものです。そこに人間の心に対する否定的な精神が生まれたのでしょう。 プラトンは感覚で得られるものである天界から地上界にいたるあらゆる事物は、本質世界であるイデア界の影が投影されたものであると考えました。しかし、それ以上深く、具体的なシステムについて追求するに至っていませんでした。動物や植物の霊魂についての考察はされていないようです。 それを考えたのがアリストテレスです。アリストテレスは、物事の本質は物事の外にあるのではなく、物事に内在すると考えたようです。一元的なイデアは否定され、世界は二元的に質料と形相からなるとされました。現実の物質になる可能態としての質料因に対して形相因(動力因、形相因、目的因)が働くことによって現実態が形成されて行くということです。―質料と質料因の区別は、材料的な面で質料、形相に働きかける面で質料因というのかもしれません―。生物の場合は形相である霊魂(こちらは生命原理)と質料因が働くのです。―形相には物質原理と生命原理があるということかと思われます―また、霊魂には植物的(栄養、生育、生殖)・動物的(運動、感覚、欲求)・人間的(思惟)の三段階を考えました。動物は植物的霊魂を併せ持ち、人間はその上に思惟する理性的霊魂があるというのです。 アリストテレスの考え方を見るとき、気をつけなければならないのは、質料と形相は一体で切り離せないものだということです。つまり肉体と霊魂は不離一体だというのです。とすれば肉体が消滅したとき魂も消滅することになるのでしょうか。それでは唯物論と変わらないことになります。 しかし、現実態としての肉体が解消しても質料因と形相因が消えるわけではないでしょうから、霊的にそのまま存在し、また現実態へと形相を実現していく、つまり再生するということになるのかもしれません。それはともかく、アリストテレスは、プラトン・ソクラテスと違って、死後の霊魂には何ら興味を示していないようです。 彼が質料を持たない純粋形相としての不動の動者(神)というものを考えたのは天地全体を動かす見えない動力因が必要だということでしょう。これでもまだ中途半端ですから、神はすべての原因を動かすものというべきかもしれません。こうしてみてくるとアリストテレスの思想は、森羅万象に霊的力を見る、一種の汎神論、自然主義的汎神論というべきものかもしれません。プラトンは「『神』」の存在を前提としてイデア世界を語ったのですが、アリストテレスは自然から出発して『神』の存在に至ったといえそうです。精神主義から離れ、ギリシャ哲学本来の自然哲学へ戻ったともいえるでしょう。 ギリシャ哲学の特徴は人間の霊魂に「理性」を付加したことでしょう。ギリシャには「霊的元素」に心的力を見る唯物論もありました。「生命力」も元素の一つであり、「魂」はそれら「元素」の集まりのようです。 心の坐を頭とする考え方もギリシャに生まれたといいます。世界の根源を「数」だとするピタゴラス教に所属するアルクマイオンという医師が、動物を解剖して目と脳をつなぐ視神経を発見し、脳を心の座だと結論したということです。少し遅れて、プラトンは霊魂の神的要素、理性的部分である精神は頭にあり、首から下に欲望的霊魂の座があるとしたようです。しかし、プラトンの弟子のアリストテレスは古来の考えに立って、頭は生命の坐、精神は心臓にありとし、脳はその冷却装置と考えていたようです。プラトンは人間の魂にしか興味なかったようですが、アリストテレスは思惟する理性である人間的霊魂、運動・感覚・欲求を司る動物的霊魂、栄養をとり、生長、生殖を司る植物的霊魂、そして物象を形成する物質的霊魂という区別を考えました。(文化史の中の科学・碓井益雄・彩流社) 植物は旺盛な繁殖力と、再生力がありますから、アリストテレスには生命力は植物的に見えたのでしょう。 頭を精神の座とする考え方はギリシャ時代ではまだマイナーだったでしょう。しかし、この考え方は医学の進歩とともに進化しつつ唯一絶対神教世界において急速に一般化していったようです。ローマ時代には、キリスト教の普及とともに、生命霊としての魂と心・精神を一体として考えるようになっていたようです。 アジアへの伝来は遅く、中国では明時代に伝わり、日本は幕末、杉田玄白の「解体新書」によって初めて紹介されたということです。その頃西洋ではすでに現在のように精神の働きは大脳皮質にあると考えられるようになっていたようです。 |