イスラム教 | ||
イスラムという言葉が「神への帰依」を意味するというのは興味深いところです。始祖ムハンマドの名を宗教名としないのは、彼が最後にして最高の予言者であってもキリストのような神の子ではないからでしょう。また民族的にも人間的にもユダヤ教におけるような神との特別な関係もないということも意味するでしょう。一つ訂正させてもらいます。イスラム教には聖職者はいないということです。聖職者の役割を果たしているのはウラマー(学者)です。 イスラム教の天国観を酒池肉林と言いましたが、比喩に過ぎないとか、間違いだというう説があるとしても、信徒達に実際に通用しているのですから、信仰的には酒池肉林が真実と言えます。それゆえにこそ環境の厳しい世界において、現実には禁欲的生活をするしかない貧しい民衆の心をとらえたといえるのではないでしょうか。それがムハンマドの思いやりだったかもしれません。 イスラム教のもう一つの特徴は「神は理知を備えた3種」の生物を創造したということです。それは光から創造した天使と泥から創造した人間、そして火から創造したジンという魔物です。ジンは昔日本にもいた妖怪・魔物と同じで、人に悪さをしたり病気をもたらしたりする変幻自在な存在です。キリスト教世界のサタンはどこから生まれたかさっぱり分かりませんが、イスラムでは神が作ったと明言しているわけです。ユダヤ教には妖魔もサタンもいないようです。ちなみに、聖戦において敵を殺すのはその人ではなく「神」であるといいます。 イスラム教をキリスト教やユダヤ教と比べて最も際立たせているのはコーランの朗詠でしょう。コーランにはまさに魂を揺さぶる神韻があります。ユダヤ教が神との契約・戒律を重んじ、キリスト教がアダムの原罪・罪の告白を重んじるのに対して、イスラム教は神への絶対的帰依、信仰を第一とするのです。 イスラム教には強い宿命論があるといいます。ムハンマドは人間の運命は神によって決められているといったというのです。障害善行を行い最後に悪行に走るのも運命、障害悪行の限りを尽くしても最後に善行を行うのも運命です。前者は地獄に落ち、後者は天国へ行きます。これでは人間はどんなに努力しても報われないという事になりそうです。しかし、考えてみれば、いつ死ぬことになっているのか、最後に善をなすか悪をなすか、その運命は誰にも分からないわけですから、最後に善であるには常に善でいなければならないわけです。ムハンマドのいいたいのそういうことでしょう。その裏には人間の自由意志を認めているということがあるでしょう。「創世記」に「あらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形作られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人の所に連れてこられた。人が、生きものにつける名は、みな、その名となった。」とあるのですから。 |
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