アンセルムスの神の存在証明
神は「それよりも大きいもの(偉大なもの)を考えることができないもの」である。
こうした神の定義自体は、神の存在を信じるかどうかに限らず、あらゆる人々にとって理解することができ、受け入れることが可能な神の定義である。
つまり、概念として定義されるところの神は、少なくとも人間の理解の内には存在する。
この「人間の理解の内」というのがくせ者です。定義として存在を理解することとその実在信じることとの違いを考えます。
そうした「それよりも大きいものを考えることができないもの」としての神が人間の理解の内にだけ存在する場合と、
それが人間の理解の内だけではなく現実においても実際に存在する場合とを比べると、
前者の場合よりも、後者の場合の方が、人間の理解の内にある神の大きさに、現実における神の実在の大きさが足し合わされることによって、
その総和がより大きなものとなると考えられる。
ということは
前者の場合のように、神が人間の理解の内にだけ存在すると考えると、その場合の神の大きさは、後者のように神が現実に実在するとした場合よりも、
現実における神の実在の大きさが差し引かれる分だけ小さくなってしまうことになり、
それは、はじめに示した「それよりも大きいものを考えることができないもの」という神の定義と矛盾することになってしまう。
したがって、
以上のように「神が人間の理解の内にだけ存在する」とする前者の主張からは上述したように矛盾が導かれることから、
帰謬法(背理法)によって、もう一方の主張である「神が現実においても実際に存在する」とする後者の主張の方が必然的に真であると論証される。
と論証しています。