ロストワールド(岐阜昭和村)

昭和20年代に生まれた人が育った昭和20年代後半から、昭和40年代まで。
日本は、敗戦から立ち直り、高度成長期を迎えていました。
新しいものが次々と生み出され、同時に古いものが捨てられる時代でした。
その時代に少年少女であった人が、はっと振り返った時、もう思い出にひたる事ができるものは、大半が
失われてしまっていました。
それが今、「昭和」の持てはやされる所以だろうと思います。
岐阜、美濃加茂市の「日本昭和村」。
そこに蘇った昭和をレポートします。

正面ゲートを通って入場です
日本昭和村のゲートです。
時代劇スタジオの入り口のような感じですね。


縁側はポカポカで暖かでした
どこにでもあった縁側。
軒に吊るした干し柿が食べられるようになるのを待ちかねていました。

きれいすぎですがこんな町並みだったのですね
こんなにきれいな舗装した道は町だけでした。
道の大半は雪が降るとぬかるみました。

昔懐かしい紙風船も売っています
なつかしい紙ふうせんや、ベーゴマ。
ここは実際に販売している駄菓子屋さんです。

学校の校舎です
この時代の学校は、同じような雰囲気を持っていました。
それだけに懐かしさがこみ上げてきます。

一般的な家庭の居間でした
戸棚の上に置かれたラジオが一家団欒の重要な脇役でした。
主役は、当時は多かった子供たちです。

庶民にも手の届きはじめた白黒テレビです
ちゃぶ台を囲んで見るテレビ。
ガチャガチャ回すチャンネルの真空管式テレビです。

みんなで囲んだ囲炉裏
正面のテレビと、右側のステレオ。
かなり裕福な家庭の再現です。

芝居小屋です
私の育った田舎では見た事がなかった芝居小屋です。

どこにでもあった光景ですね
どこにでもあった光景です。
私の育った田舎と違うのは、麦が植わっていない事でしょうか。

手をこすりながら走り回っていました
今のような防寒着はなく、もしあっても、買ってもらえなかったであろう子供の頃。
走り回っていたせいで、寒かった思い出はありません。

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