-
1、はじめに
渡刈町は、明治の御世から約90年間、明治用水本流が町内を流れ、
とりわけ春から夏は水浴から野菜洗い、洗濯など人々の生活に潤いを与えた。
しかし、昭和47年の明治用水暗渠化(漏水・蒸発防止)工事で、旧R248から西側は暗渠化され、
以下の写真もなつかしい時代となっています。
-
2、昭和25年・1950頃の写真(区長事務所所有)
明治用水の最上流の橋、水源ダムが出来までは大活躍!
渡刈町西糟目風景、右は、水入り地区の水田
渡刈町上糟目・矢作制水門、後方の鉄橋は名鉄大樹寺線
渡刈町上糟目・矢作制水門、後方の鉄橋は名鉄大樹寺線
(上糟目には、2箇所に制水門があった)
渡刈町北田の糟目春日神社前の明治用水本流
渡刈町北田の糟目春日神社前の水浴場・当時は清流で、夏中泳ぐ
渡刈町北田の糟目春日神社前の太鼓橋、お稚児さんの列が懐かしい
渡刈町北田の糟目春日神社前風景、旧248渡刈橋上から撮影
-
3、昭和40年/1960、橋を取り壊す前の写真(県土木事務所提供)
渡刈町北田の糟目春日神社前風景、旧248渡刈橋、藤棚酒店、火の見櫓
渡刈町北田の旧248渡刈橋、石積のめがね橋が懐かしい、
国鉄岡崎駅発のJRバスが鴛鴨から側道を通り、渡刈へ、
鴛鴨町風景、左の建物が鴛鴨の農協、
-
4、昭和46年・1966撮影(暗渠化改修工事前・区長事務所所有)
鴛鴨町風景、右手は遍照寺境内の森?
寿恵野小学校下校風景、みんな仲良く楽しそう
|