※ ※ ※ 23日 ※ ※ ※
今日はついに台湾に卒業旅行に行く日。
11時に一緒に行く大学に入ってからの仲間3人と待ち合わせして、マックで軽く昼食を済ませた。
それで、12時に浜松駅から e-wing に乗ってセントレアに向かった。
さすがに平日だから結構席は空いていて一番後ろの席にVIPのごとく座った。
みんなでこれから行く台湾の観光について有名スポットやおいしい料理について話しあった。
やっぱり旅行の一つの楽しみは行く前にいろいろみんなでする下調べ。いろんなお店があって決めるのに苦労するけど(^^;
そんなこんなであっという間にセントレアに着いた。セントレアに着いたらJTBのカウンターで受付を済ませて、チケットをもらい、CATHAY PACIFIC のカウンターでチェック・インを済ませた。
セキュリティゲートを通る前に、天気も良かったからスカイラウンジに出て心地よい風に吹かれながら飛行機が離陸、着陸するのを眺めた。
その後に小腹が空いたからたこ焼きをおやつ代わりに食べて、セキュリティゲートを通った。
いつも思うけど、ベルトや時計まで取るのは結構めんどくさい。アメリカみたいに靴を脱いだりはしないけど。。。
あっという間に登乗時刻の4時になって、4時半についに日本を飛び立った!
いままでJALばっかりだったから気にならなかったけど、CATHAY PACIFIC では中国語が飛び交っていた。というか、当たり前だけど(^^)
ただ、英語ならわかるけど、中国語は全くわからないのが残念。いつか話せるようになりたいな(^^)
機内食が夕食ということだったけど、いやいや、でっかいゲンコツのようなハンバーグが入ったよくわからんご飯ではさすがに満たされない(><)これじゃやっぱり夕飯がいるなと思った。
3時間ぐらい台湾の北部にある桃園空港に着いた(^^)時刻は夜の7時くらいだった。
入国審査、税関を通って出口を出てきたら、おじさんが"Look JTB"の札を持っていた!
えー、このおじさん(゜○゜)!と思ったら。。。やっぱりそうだった(^^)正直、ガイドはおっさんか〜と思ってしまった。だけど、このおじさん、陳さん(チンさん)は実はかなりユーモアがあった(後述)
JTBのツアーには、自分たち男4人+女の子2+4人で全部で10人だった。
全員がバスに乗って、早速台北市内のホテルに向かった。順々にホテルを回っていったけど、ホテルはグレードで全然違うことがわかった!
まず、女の子2人組が泊まった GRAND HOTEL はこれまたすごい!
なんといってもその大きさ、昔の寺院を改装して造られたホテルはもうホテルというより一つの観光施設になっていた。いやいや、すごい!
次に自分たちのホテル"LEO FOO HOTEL"に向かった。自分たちのホテルは台北市内のど真ん中に建っていて、周りにはマックやROYAL
HOSTやセブン・イレブンなどのコンビニがひしめいていた。
グレードは実は最も低いホテルだったけど、以外に出歩くには便利だった(^^)
早速ホテルに荷物を置いて外に出かけた。というのもさすがに機内食だけではお腹が満たされなかったから。
で、"るるぶ"に乗っていたホテル近くの食べ放題のレストランに行った。
そこで偶然奈良から来た大学の女の子たちと席が隣になって、店員の言っていることがわからなった僕らはいろいろ教えてもらった。
スープを最初に3つ選んで、その3色鍋に野菜や肉を入れていく感じの日本人向けの?料理だった。
スープは唐辛子の効いためちゃめちゃ辛いスープとあっさりした塩味ベースのスープとスタンダードなスープを頼んだ。名前は漢字だったからわからない(><)
棚から好きな食べ物を取ってきて食べるバイキング方式だったけど、これまたいろいろあった。鳥や豚の内臓やナマコなんかの海産珍味?、あとはよくわからないものまで。。。
僕は好きな海産物系を主に食べたけど、友達の一人は、とにかくゲテモノといったらお店の人に申し訳ないけど、そんな感じの珍味?ばかりを食べていた。
味は結構いけて、スープに変なクセがなかったからどの食材にも合った(^^)
みんなでビールを1,2本空けて(僕は全然飲んでないけど(^^;)わいわい楽しんだ。ビールはかなり薄いというか飲みやすいビールだった。
で、とにかくお腹いっぱいになってホテルに帰った(^^)
ホテルの部屋は思っていたほど悪くなくて、アメニティグッズ(歯ブラシとか櫛とか)がない以外は全然普通のホテルだった。ビジネスホテルに似てる感じ。
使うので困ったのは、行く前に調べてあったけど、「トイレの紙が流せないこと」
台湾のトイレは詰まりやすくて使った紙はトイレの横のゴミ箱に捨てなくてはいけない。これは台湾の常識らしい。
まあ、これはしょうがない。そのほかは全然問題なかった。まあ、水はそのまま飲めないのは当たり前。
風呂に入って、次の日は一日ツアーで朝からいろいろなところに行くから、そのために早く寝た。現地時間で2時ぐらい。ちなみに台湾の時刻は日本より一時間遅い。
※ ※ ※ 24日 ※ ※ ※
今日は一日JTBのツアーで有名な観光地を回る日。
朝8時にホテル前のレストランで「お粥の朝食」を食べた。
お粥は何もつけずに食べると少し甘くてお米の味がしっかりとした感じ。
それにおかかなんかをトッピングするといろいろな味がしておいしかった。
前に日本でお粥の朝食の特集をテレビで見たことがあったけど、
お粥は消化も良くて朝にはいいなと思った。
俺なら塩辛とかたくわんといっしょに食べたいな(^^)
お粥以外にも野菜炒めなんかもあってかなり豪華な朝食を食べた。
ただ、なんかコーラとかジュースの味が薄い?と感じた。
料理とかについて、台湾はなぜか全てのものがあっさりというか薄い感じの味付けが多いなとも感じた。
お粥の朝食を食べた後、まず最初に向かったのは「忠烈祠(ツォンレイスー)」。
ここは、革命や抗日戦などで戦死した約39万の将兵の霊を祭る祭祀場。日本での靖国神社のようなもの。
ここは有名な観光地の一つだから人も凄く多かった。観光バスもひっきりなしに行きかっている。
敷地はかなり広く、造りは北京の紫禁城の太和殿を模した重厚なものになっている。
現地に着いたのがちょうど9時で、衛兵交代の儀式の真っ最中だった。衛兵交代は1時間ごとに行われる。衛兵は正確に言うと「儀仗兵(ぎじょうへい)」。
儀式では数人の衛兵が一糸乱れぬ動きで銃を使ったパフォーマンスをしていた。いやいや、見ていて感心してしまった。
見ていたら、一人の衛兵が銃を片手で回転していたときに失敗して銃を落としてしまった。
まあ失敗は誰にでもあるものだけど、ガイドの陳さんに聞いたら失敗したら腕が上がらなくなるまで腕立てをさせられるようだ、500程度(゜○゜)
それで匍匐(ほふく)前進をかなりの長い距離させられるみたい。これは大変だと思った。
衛兵は陸・海・空軍のエリート達だそうだ。選抜は約500名から厳しい基準で40人に絞られるようだ。身長は180cm以上とか、あと、裸で蚊なんかに耐える試験とか。ん〜聞いてるだけで大変だ。
衛兵交代の儀式は間近で見れるのでかなり迫力がある。衛兵交代はじっくり時間をかけて行われるから、見ごたえは十分。
最後にみんなで衛兵と記念写真を撮った。衛兵は人形のように体を硬直させて仁王立ちしている。これを一時間やるのはすごい体力と精神力がいるから感心する。
ちなみに衛兵の銃や体に触れるのは厳禁なので注意しないといけない。
次に向かったのは、世界4大美術館の一つの「 故宮博物院(クォーリークーコンポーウーユェン)」。
ちなみに世界4大博物館は、ルーブル美術館 (フランス・パリ)、 エルミタージュ美術館 (ロシア・サンクトペテルブルク)、 メトロポリタン美術館
(アメリカ・ニューヨーク)、 故宮博物院(北京、台北の両説あり)。
バスで故宮博物院に着いたら、イヤホンをもらってガイドの陳さんにいろいろ案内してもらった。
故宮博物院は地下一階も含めて4階建てになっている。地下一階がバス停で、1〜3階が展示場になっている。
ちなみに故宮博物院の「故宮」とは、「昔の宮殿」を意味していて、北京にある紫禁城を指している。
つまり、ここに所蔵されている品々は以前紫禁城にあったもので、近代中国の戦乱の難を避けて北京から南京、そして台北へと1つの欠損もなく移送された品々。
所蔵品数は70万点余りあり、そのほとんどは中国の歴代皇帝が収集した逸品・国宝級の品ばかり。
ちなみに、そのほとんど、9割近くが清朝が一番栄えたころの第六代皇帝「乾隆帝」の所蔵品のようだ。
ガイドの陳さんに、乾隆帝の写真の横に立たされて、顔が似ているだとかからかわれたのを思い出す。
ちなみにこの乾隆帝は妾が2000人いたそうだ。いやいや、日本の有名な豊臣秀吉などの武将とは比較にならない多さ(^^;)
常時展示される文物は約2万点で、3〜6ヶ月ごとに入れ換えられる。ということは、全てを見るには数十年かかる。ん〜これからも中国の歴史の深さがうかがわれる。すごい(^^)
所蔵品は写真撮影が禁止されているため、写真を紹介することができないのが残念。
ガイドの陳さんにいろいろ説明してもらったけど、あまりにも多くてここで紹介はできないけど、有名なものを1つ紹介しよう。
それは、翠玉白菜といわれる翡翠(ひすい)で造られた白菜を模した作品。これは非常に有名でよく写真に出てくる。写真はココに載っている。
写真を見るとわかるが、白菜の葉脈までがきれいに再現されている。巧みな技には脱帽する。
白菜の上にキリギリスとイナゴがいるが、大きいほうがキリギリスで女性を表し、小さいほうのイナゴが男性を表しているようだ。
キリギリスは子孫繁栄の象徴とされているため縁起がいいとして妃に愛用された品。ガイドの陳さんによると、キリギリスの足が長いのは、他のキリギリス(女性)を蹴落とすため?らしい。
時間の関係から全部で2時間近くしかいられなかったけど、はっきり言ってこの博物館は一日いても十分に見るものがある。
どれも美しいもの、巧みな技巧によって造られたものなどたくさんある。ぜひ、次回ここを訪れるときは時間をたっぷりとってゆっくり見たいと思った。
故宮博物院を見た後は、ちょうど12時近くだったこともあり、昼食を食べた。
というか、ツアーだから食べることになっていた(^^)
立ち寄ったのは、鼎泰豐(ディンタイフォン or ていたいほう)という上海点心の超有名店。
30年以上の歴史を持つこのお店は、米紙ニューヨーク・タイムズに「世界10大レストラン」の1つとして掲載された世界的に有名な点心料理専門店。日本にも店舗がある。
なんといってもおいしかったのは小籠包(ショウロンポウ)、れんげの上に載せて皮を少し裂けばジュワーと肉汁が出てくる。
それをすすりながら食べる小籠包はいくらでもいけると思った。その他にもいろいろな種類の具が入った餃子なんかがでてきてもうおいしくておいしくて。
ツアーのみんなといろいろ話をしながら点心料理を満喫した。
昼食が終わったら、午後は台北中心から車で約40分のところにある「九イ分(チョウフン)」。
この町は「千と千尋の神隠し」のモデルとなった町として有名。台湾のどの町とも違う雰囲気がある。
まずバスでチョウフンの商店街に着いた後、食後のデザート?を食べた。
食べたのは芋圓(タロイモ団子)入りの杏仁豆腐。豆腐は味がついてなくて、スープはほどよい甘さの杏仁豆腐だった。日本はこれ比べたら甘すぎると思う。
本当に台湾の料理は甘さというか味がどちらかというと抑え目な気がする。
杏仁豆腐をおいしく食べた後は、商店街の散策をした。
途中に商店街でも有名な名物おばさんがいた。地元のテレビにも何度も出てい有名人らしい。いやいや、なんとも面白い格好をしていた(^^)
商店街は入り組んでいて、何も考えずに歩いていたら迷ってしまう程。
だけど、町並みは本当に今までの生涯で行ったどこにも似ていない独特の雰囲気をかもし出している。
チョウフンは一時は、金鉱で栄えた鉱山の町。閉山されてからは衰退の一途をたどった。
しかし、独特な町並みに芸術家たちが住み始め、候孝賢監督の映画「非情城市」で一躍脚光を浴び、今では休日となれば観光客が押し寄せる町となった。
今回のツアーでは時間の関係から商店街しか訪れることができなかったが、商店街以外にも多くの観光施設があるようだ。
いつかまたここを訪れたいなと思った。そのときは、できるだけ時間をかけてじっくりチョウフンを楽しみたいなと思った。
チョウフンを散策した後は、再び台北市街に向かった。夕飯前に免税店でお土産を買うことにした。
お土産屋には翡翠などのいろいろな宝石類から、台湾で有名なお茶、特に烏龍茶やパイナップルのお菓子なんかがあった。
試食をしたりしながら、一時間ぐらいをかけてゆったりと買い物をした。お茶やお菓子なんかを買った。
お茶は、高山烏龍茶を買った。
高山烏龍茶の『高山』と言うのは、海抜1000m以上で栽培されたお茶に付くブランド名。一般的に海抜が高くなると、雨や霧が多くなり、それが茶葉の新陳代謝を活発させ、お茶の栽培環境が非常に良くなる。
結構高かったが2つ買った。緑茶の県である静岡県に住んでいる僕としては、興味がある。
台湾に来て何度もお茶を飲んだが、どれも非常においしかったのも買ってみようと思った理由の一つ。
お土産を買った後は、みんなで夕食を食べた。
夕食は、「欣葉(シンイェ)」で台湾料理を食べた。これがなんともおいしかった。創業約30年の老舗、地元客も太鼓判を押す味の良さだという。
麻婆茄子風の料理やいろいろな料理が出てきたがどれもおいしかった。みんなでテーブルを囲んでわいわい話しながら楽しく食事を満喫した。
夕食後は、台北で最も大きい夜市の「士林夜市(スーリンイェス)」に行ってきた。
火曜の夜なのにもの凄い混んでいる。天気がいいのも一役かっているようだ。
夜市にはたくさんの出店が並んでいる。
中には明らかにブランドのパチ物を売っている店や様々なジュエリーを売っている店などが軒を連ねていた。
道の真ん中には違法らしいが、たくさんの人がテーブルを組み立てたりして小さな出店を作ってさまざまなものを売っていた。
いやいや、凄い活気、中には、椅子の上に立って大声で客引きをしている男性なんかがいて、がやがやしていた。
この活気は、前に行ったタイの市場に勝るとも劣らないぐらいだった。いやいや凄い!
アイスを食べたり、友達はタピオカやカキ氷を食べたりと楽しんだ。ただ、買い物はあまりピンとくるものがなかったから買わなかった。
最後にホテル近くに戻るバスを探して、ホテルに帰った。
ちなみに、台湾のバスは非常に複雑で、現地の人も自分が良く使うバス路線しかわからないという程。なんとか探し出して帰れた。
ホテルに着いたのは午後11時を回っていた。
ホテルに戻って寝ちゃわないうちに次の日に回るルートや昼食や夕食について話し合って、その後に風呂に入って寝た。
いやいや、今日は朝から晩まで密度の濃い一日だった。だけど、明日は今日以上になりそうだ(・ _)Zzz...
※ ※ ※ 25日 ※ ※ ※
今日は1日自由行動ができる日。
まず朝7時半にホテルの朝食を食べて、朝8時ごろにホテルをでかけた。
今日は台北市内を広く移動して満喫しようと考えていたから、まず台北の都市鉄道MRTを利用した。
リオフーホテルから西に行くとMRTの中山駅があるからみんなでそこまで歩いた。
ちなみにこの「中山」とは中華民国建国の父「孫文」からとったもの。中国では孫文よりも孫中山(スン・ヂョンシャン)の名称が一般的で、尊敬の念をこめて「孫中山先生」と呼ばれている。
駅近くには大きなビルやルイ・ヴィトンとかいったブランド店が軒を連ねていた。
中山駅で便利な一日乗車券を買った。乗車券はICカードになっている。だから東京のSUICAとかと使い方はまったくいっしょだった。これには少し驚いた。
一日券は一枚200元(内50元はカードを返すと返金される)。だから、約450円で乗り放題。
中山駅からまず南に移動していった。最も大きい駅の台北車站駅(台北駅)を過ぎてさらに南に行ってMRTの台大医院駅で降りた。
駅のすぐ横には2・28和平公園という公園がある。これは2・28事件を記念して作られた公園。
2・28事件とは1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった大規模な当時日本国民であった本省人と外省人の抗争。
台湾での本省人とは、1945年(昭和20年)に日本が太平洋戦争に敗戦し、中華民国へ台湾が帰属する以前から台湾に住んでいた漢民族と、その子孫を指すことが多い。(Wikipediaから抜粋)
台湾において外省人とは、1945年の日本敗戦で日本による統治終了後、おもに中国大陸(福建省の金門県、馬祖島を含む)から台湾に移住してきた人(大部分は漢民族)とその子孫を指す。(Wikipediaから抜粋)
簡単に言ってしまうと、2・28事件とは戦後に台湾にやってきた外省人(戦後に移り住んだ人)により治安は悪化し、役人の著しい腐敗や不正が横行したことに対しての本省人(戦前から住んでいた人)の不満が小さな事件をきっかけに爆発し、大きな抗争に発達した事件。
これにより本省人の約28,000人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。
特に裁判官・医師・役人をはじめ日本統治下で高等教育を受けたエリート層の多数が逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。
ガイドの陳さんが、自分はお金はたくさん持っていないがいろいろな資格を持っていると言っていた。そのときに、将来お金持ちの財産はまた全部取り上げられてしまう可能性があるからお金はあまりいらないと言っていた。
これは良く考えると、2・28事件の経験から将来同じようなことが起きたとき、またお金持ちは財産を没収され、殺されてしまうことを恐れてのことではないかなと今では思う。
非常に複雑な感情が台湾の人にはあるのだと感じた。
そんなこんなで2・28和平公園を抜けて台湾のホワイトハウスである「総統府」に行ってきた。
総統府の周りは多くの警備員がいて観光客の僕らは警備員の痛いような視線をビシビシ感じた。
だけど、その中の一人が日本語がしゃべれて、総統府の観光客用の入り口を教えてくれた。いや〜話しかけられたときは何かと思ったよ。だけど、日本語が聞き取れて話せるとはすごいなと感心した。
総統府の観光客用の入り口は物々しい感じで警備されていた。まず入り口に銃を持った兵士が立っているし。。。勘弁してくれよ(> <)
だけど、総統府に勤めている人たちが愛想良く対応してくれてセキュリティチェックは持ち物を見せるなど厳しかったが、なんとかパスして総統府の1階を見学した。
日本語を話せるガイドの人がいていろいろと台湾の歴史を説明してくれた。その話ででてきたのだが、この総統府は日本人建築家により設計され、日本の東京駅を作った技師の一番弟子が指揮を執って建築されたようだ。
総統府を上から一望すると日本の国旗に見えるようだ。すごいな。
台湾はオランダ、スペイン、中国、日本とさまざま国に統治されてきた歴史を持っている。ガイドさんは台湾人は統治されながらもそれぞれの国の文化や技術を吸収し、今に至るまで成長してきたと言っていた。
そんなところからも自分が台湾人から感じるたくましさというか何というか日本人とは異質の感じがこういう歴史により育まれてきたものなのかなと感じずにはいられなかった。
そんなこんなで台湾の歴史や文化を1時間半みっちりと勉強することが出来た。もし台湾について事前にもっと勉強していればもっと深く台湾について知ることが出来たかもしれないが、説明を聞いた後で台湾の歴史にに非常に興味を持ったのは確かだ。
総統府を出たら、もう一度2.28和平公園に戻って、公園内にある「国立台湾博物館」に立ち寄った。
国立台湾博物館は1908年に設置された日本の設計士や建築士によって作られた博物館。当時の技術の粋を集めて建てられた。多くの古典西洋建築要素を組み合わせて作られている。
建物内には基本的に日本人用の説明書きはないから置物や漢字から意味を憶測するしかないのが残念だったが、台湾の生物や多くの先住民について写真や使用されている道具が展示されていた。
台湾には非常に多くの先住民がいるのに驚いた、軽く10以上ある。
台湾と日本の面積を比較すると、台湾の面積は3万6千km2で日本は約37万km2。約10倍。
だけど日本はアイヌ人ぐらいしか自分には思い出せない。
なぜ台湾にはこんなに先住民が多いのかと不思議に思った。
今でも台湾の先住民は山奥には住んでいるみたいだが、数はかなり減ってきているようだ。
博物館を出たらすでに12時を回っていたから、近くのレストラン?屋台?でご飯を食べることにした。
まず最初に行ったのは、博物館の近くの「排骨大王」というお店。
いろいろ散策しようということだったから四人で2つのラーメンを頼んだら店員に不思議がられた。台湾には分けて食べる文化がないのかな?まあ片言の日本語とジェスチャーじゃ正確に通じてなかったかも。。。
お店自慢の排骨麺はラーメンの上にどかっと肉がのっていた(゜○゜)!豚肉だったと思う。骨付き肉だった。
味はあっさりした塩味だった。たぶん日本のようにだしをとる文化がないからあっさりしているんだろう。こういったあっさり味にはもう2日間で慣れたかな(^^)
次に「周記」というお店に入った。ここで牛肉麺と何とか麺(名前を忘れてしまった)を頼んだ。牛肉麺はきしめんのような感じのラーメンだった。日本のきしめんよりこしがあり、もちもちしている感じ。豆板醤といっしょに食べると非常においしかった。
何とか麺も塩味が付いている焼きそばのような感じでおいしかった。いやいや、商店街がちょっと危険な感じだったから食べたらまずいかなと思ったけど、食べて大正解だった(^^)」
お腹が膨れたところで、台北車站駅(台北駅)からMRTを使って少し南に向かった。
中正記念堂駅で降りて出口を出ると、そこは台湾民主公園だった。
この公園は非常に広くて、正門には「自由広場」の牌楼(はいろう)は台湾で最大の牌楼で高さ30メートルある。中国伝統建築の美しさがうかがわれる
牌楼から見て公園内の両脇には巨大な国立オペラハウスと国立コンサートホールが建っている。そして正面には中正記念堂が悠然と聳え立っている。
とにかく公園も大きいが建物も負けず劣らず大きい。
中正記念堂は蒋中正(蒋介石)の記念堂で、蒋介石の死後に民間の寄付金と政府の資金で1980年に建てられたもの。中華文化の風格が取り入れられていて、参観者に荘厳さ、親しみやすさと平和的なイメージを抱かせている。
中正記念堂は高さが70メートルで、四方の壁は白い大理石を積み重ねて作られ、屋根は漢字の「人」の字をした八角形になっている。
その屋根の頂上が天空を指すことで「天人合一」の中華文化を表現しているそうだ。
いやいや、建物の大きさには圧倒される。こんな大きな伝統建築の建物は日本では奈良の東大寺や清水寺ぐらいしか思いつかない。ん〜すごい(^^)
その大きさは写真からは伝えられないと思うが、右の欄の写真(中正記念堂 正面から)2枚からその大きさが少しはわかってもらえると思う。
ちなみに、ちょうど中正記念堂入り口に着いたときに衛兵交代の儀式が始まった。なんという幸運!せっかくだから動画に収めてみた。動画はかなり重いが一見の価値ありです!
壮大な公園と建物、さらに衛兵交代の儀式も見れて大満足して再度MRTに乗り、台北車站駅(台北駅)を経由して東に向かった。
国父記念館駅で降りて少し歩くと国父記念館に着いた。
国父記念館は1972年にできた中華民国建国の父「孫文」を記念館。国父記念館は中山公園内にあって、公園内では小さな子供たちが元気よく遊んでいた。
国父記念館には孫文の偉業を讃える資料などが置かれている展覧室や大小様々なギャラリーホールがあり、展示会などが開かれている。この建物は孫文を記念して建てられ多目的ホールとしても使われてるようだった。
正面入口を入ったところに大きな孫文の像が置かれていた。孫文の像の脇には衛兵が立っていた。
ちょうど衛兵交代の時間だったので儀式が始まり、一糸乱れぬ動きで交代の儀式が行われていた。いやいや、僕らは運があるのかよく衛兵交代の儀式に遭遇する(^^)
国父記念館内には、僕らが訪れたときには2・28事件についての記念ギャラリーが開かれていた。2・28事件について写真と解説(中国語だったが)からいろいろ知ることが出来た。
国父記念館の次は今日のメインともいえる TAIPEI 101 に登った。
台北101は言わず知れた台湾のランドマーク。高さ509.2m、地上101階、地下5階からなる建物。7年間の工期を経て、2004年に世界一の超高層建築物として竣工した。
しかし、その後(アラブ首長国連邦で建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」に抜かれてしまったため世界一の座を奪われた、が、現在(2009年3月)でも完成した建築物としては世界一高い。
あいにく曇っていたためほとんど夜景を見ることが出来なったのが残念。だけど、下を除いてみるとその高さに愕然とする。
前にアメリカのサンアントニオで登ったタワーとは比べ物にならないぐらい高かった。大きな国父記念館でさえすごく小さく見えた。
87階 - 92階の中央部の吹き抜け空間には、風による振動を緩和する目的だけのために、巨大なTMD(チューンドマスダンパー)が設置されている。
重量はなんと660トン!いやいや、全てのスケールがでかい。
さらに驚いたのはエレベータ。
展望階は89階だから数分間はエレベータに乗っているのかと思っていたけど全然違った。東芝製のエレベータはなんと時速約60kmで展望台入り口のある5階(地上25メートル)から展望台のある89階(地上382.2メートル)まで、37秒で到達する。
しかも乗ってみて感じたのが加速・減速時のショックが全くなく凄く静かだったこと。これだけみても東芝の技術の高さがうかがえる。全く感心した。(^^)
台北101を後にしたら、近くの庶民レストランで食事をした。ゴマだれがついた麺と水餃子を食べた。これもおいしかったが、これだけではさすがにお腹は満たされない!
ということで、また今日も夜市に行くことにした。
MRTに乗って南京東路站で降りて、ちょっと迷って、遼街寧夜市に遊びに行った。
前日行った士林夜市と違い、かなり小さい夜市だった。
ひとしきり歩いておいしそうなお店を選んでがっつり食べることにした。
明日は朝からもう空港に向かってしまうから今日あたっても思い残すことはない!ということでがんがん食べてしまおうとむちゃくちゃ料理を頼んだ。
ガチョウの肉、海老、イカの口、骨付き牛肉。。。いやいやどれもそれまで食べていた台湾料理と違って下味がついていておいしかった。骨付き肉は犬にあげたら永遠にしゃぶってういるだろうな(^^)
たらふく食べて、ホテルが近かったから歩いてホテルに戻った。
いやいや、今日も散々歩いたからもう足がパンパン。
風呂にゆっくり入って疲れを取って、帰国の用意をして寝た(・_)Zzz...
※ ※ ※ 26日 ※ ※ ※
今日はついに台湾を出国する日。
朝8時半にホテルにバスの迎えが来て、一路空港に向かった。
驚いたのは、一日前に全然元気だった女の子2人がぐったりしていたこと。
特に一人は顔だけ見ても一目でわかるほど体調が悪そうだった。
聞いてみると食べ物にあたったわけではなさそう。。。?
ん〜台湾は良く考えてみると空気もあまりきれいじゃないし、日本と比べて環境は決していいとはいえない。
右の動画を見てもわかるように原付がすごいのも一役かっていそうだ。アジアの旅行は慣れていないとやはり危険な面があるということを再認識した。
前にカンボジアに行ったときは友達が一人ダウンしたし、ん〜アジアは危険だな。
僕らは昨日あれだけ地元の料理を食べたけど別になんともなかったがよかったけど、やはり気をつけなくてはいけないな(><)
空港で最後にガイドの陳さんと記念写真を撮った。
いやいや少し早口で聞き取るのが大変だったけどいい人でよかった。
旅のいいところの一つは、やはり現地の人との出会い(^^)
12時15分に台湾を発って、3時ごろにセントレアに着いた。
着いて入国審査を受けて、ツアーのほかの女の子たちと別れた。
いやいや、みんなのおかげでより楽しいたびになった。感謝感謝!
セントレアからは来たときと同じようにe-wingで浜松駅に帰った。
そこでみんなと別れて帰宅した。
いやいや、3泊4日の短い旅立ったけど毎日2時就寝7時起きだったからちょっと疲れたな。いろいろなところを回って台湾の歴史や文化を知ることが出来てよかった。
無事に日本に帰って来れたことに感謝しないとな。
これからもぜひいろいろな国に行って様々なことを見たり知ったりしたいな。あと、英語以外にも言語を習得しないといけないな(><)頑張ろう(^^)」 |