こうちじょう |
■所在地:高知県高知市丸ノ内1丁目 ■立地:丘陵 ■別称:− ■築城年:1601年
■築城者:山内一豊 ■遺構等:天守、本丸御殿、門、櫓、石垣、堀など |
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| 現存の本丸御殿と天守 |
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大手門と天守 |
大手門(現存) |
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板垣退助像 |
雨から石垣を守るため長く突き出た石樋 |
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一豊の妻・千代像 |
堀に築かれた詰門(現存) |
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天守 |
詰門内部 |
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天守内部 |
三の丸 |
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二の丸 |
本丸 |
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廊下門から西多聞櫓付近 |
三の丸から見た天守 |
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二の丸北側 |
詰門、廊下門、西多聞櫓 |
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石落としと武者返し |
山内一豊像 |
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■歴史 |
1601年、関ヶ原の戦いにおいて功績のあった山内一豊が土佐24万2千石を拝領し、掛川城から浦戸城へ移ったが、浦戸城は立地が悪かったために、かつて長宗我部元親が城を築いていた大高坂山に新たに城を築くこととした。
大高坂山は城を築くに難所であったが、石垣技術に優れた近江穴太衆を配下に持つ百々安行を総奉行にし、築城と城下町整備を任せた。
石垣は浦戸城のものを流用、家臣団や子供も工事に従事したり、月明かりで夜通し工事をするなどして、1603年には本丸と二ノ丸が完成しした。一豊は旧暦8月に入城してこの地を「河中山」と改めた、さらに1610年には、2代藩主・忠義が「高智山」と改名し、後に「高知」と呼ばれるようになった。
1611年に三ノ丸が完成し、現在の高知城の縄張りが出来上がった。
1727年、高知城下からの火災により、城は追手門を残してほとんどが焼失したが、1729年に幕府の許可を得て再建に取り掛かった。全ての再建が完了したのは24年後の1753年であった。
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●現状(2014年8月) |
夏休みの家族旅行で訪れました。
他県の県庁所在地の城と同様に城周囲は官庁街となっていますが、平山城で小高く、大都市のように城よりも高いビルに囲まれるようなこともないので、市のシンボルとしてよく目立ちます。
本丸以外には大手門ぐらいしか現存の建物はありませんが、本丸は天守や本丸御殿をはじめ、門や多門櫓など、築城当時のものではありませんが、江戸期に再建された全ての建物が現存しており、本丸が完全に現存する唯一の城といわれています。
天守は大きな破風が印象的な美しい姿をしており、唯一無二の高知城の姿を形作っています。
本丸御殿は天守とともに本丸に現存するのは高知城だけですが、城主の居館は二の丸御殿であり、ほとんど使われることはなかったそうです。
高知は食べ物もおいしく、城のちかくのひろめ市場で食べた鰹のたたきは、こちらで食べる少々血なまぐさいたたきとは別物のようなおいしさでした。
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◆場所 |
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