仏舎利について
紀元前5世紀頃にお釈迦様が亡くなり、火葬された後 仏舎利は8分割されそれぞれストゥーパに収められたという記述が涅槃経にあります。この伝承は、1897年にネパールとインドの国境近くで実際に仏舎利が鑞石の瓶に入った状態で発見され裏付けられました。この時発見された仏舎利の一部はインドからタイ経由で、日本仏教会にも贈られ、今は、名古屋の覚王山日泰寺の花崗岩で作られた仏舎利奉安塔に収められています。また昭和30年代にインドから日本に贈られた仏舎利もあり、それを収めているストゥーパ形式の仏舎利塔も、御殿場市をはじめあちこちにあるようです。
ストゥーパについて
インドのストゥーパの代表例とされるサーンチーの第1ストゥーパは、紀元前2世紀頃に今の形となったもので、右の図のように円壇(メディ)の上の垣(ヴェディカー)の中に半球状の塔身(ガルバ・アンダ)が置かれ、その上に平頭(ハルミカー)という方形の柵があり、その中心に柱(ヤスティ)が立ち、その柱に3重に傘蓋(チャットラ)が付いています。傘をさしかけるのは貴人の象徴だそうです。このサーンチーのストゥーパは直径36.5m高さ16.46mということです。西遊記で知られる玄奘などが記したところでは、2世紀頃のカニシカ王が築いたストゥーパは全高210m~240mに及び、発掘された基壇は底辺が87mもあるという大塔だったそうです。
これらのストゥーパの姿は日本の塔とはかなり違いますが、インドからシルクロードを通り、中国・朝鮮半島を経て伝わってくるうちにストゥーパはその姿を変え、塔となりました。このストゥーパのなごりは日本の多層塔の最上層の上に立つ相輪に見られます。ストゥーパの塔身は相輪の伏鉢となり、平頭は露盤、傘蓋は九輪と対応しています。
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