2007年4月〜
07.04.28
クンシランの
ノド
 
  飼い猫は喉を撫でてやると喉を鳴らす。
  
   家の玄関にクンシランの鉢が二つあり、今を盛りと咲いている。
  長年咲かなかったのだがここ数年は毎年咲いてくれる。

        

  玄関を出入りするたびにこの花の喉(の部分)を撫でてやる。
  「オー、ヨシヨシ、よくぞ咲いてくれた。キレイキレイ」と言いながら、
  時には茎の部分もさすってやる。このところ毎年やっている。
   
   これをやると、花は喉を鳴らしはしないが、心なしか喜ぶような
  気がする。花の盛りも長いように思える。
  
   もっとも、中心部の花は撫でられない。
   が、最後に散る。
  これをどう考えるか。
 
   答えは分かるはずもないが、ともかく、健気に咲いているのを
  見るたびに手を出さずにいられない。
  「オー、ヨシヨシ、キレイキレイ・・・」
 
07.04.21
非常用飲料水
 
   昔、鑿(のみ)が滑ってスネに刺さったとき、そこの救急車のお世話に
  なった。その分、少しやわらかく書こうと思う。
 
   近くの消防署○分署の屋上にこのような標語が飾ってある。

   
    言わんとする意味は分かる。これを見て地震に備えて何かを
  すれば本番の時に命が助かるかもしれない。
 
   性分だから仕方がないが、当方はそう思う前に、
  「ン?、何かおかしいな」と思ってしまう。
 
   「防災ために日頃から準備しておけば、災害から身を守ることに
  なる」という意味を標語にしたのであるならば、日本語としては、
    「防災 日ごろの準備が 身を守る」
   がより正しい、と思う。
 
   消防署の作ではなく、公募なのかもしれない。
  いずれにしても「防災、日頃の準備が大切なんだよ」という説教を
  垂れようという意識が頭から離れないために、「防災」となったので
  あろう。
 
   広島の原爆慰霊碑の、
  「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
  という碑文に主語がなく、英訳に困る、いや、慰霊碑の前に立つ人が
  それぞれの主語(私たち人類)を補えばよい、と話題になったことがある。
 
   それとはちょっと違うが、このように公を対象とする文の、
  おかしいところはおかしいと思う者がいてもよい。
 
   「防災は」でも間違いではないので、おかしいと思うだけでなく、
  このひとり言を書いたら、物置の非常用飲料水の消費期限日を
  確認しようかな。
07.04.16
ピザと
スピードダウン
 
  欧米人が日本へ来て不思議に思うことのひとつに、
 交通信号のバカ遵守、があるという。
 
  外人の話。
   1.田舎のホテルに泊まって、深夜、外の交差点を眺めていた。
    田舎であり、深夜なので車は1台たりとも来ないのに、通行人は
    信号が青になるのを待ってから渡った。
   2.手押し信号のボタンを押した人が渡り終わっても、車のドライバーは
    信号が青になるのを待っている。
 
  十数年前に人身事故を起こしてから身に付けたクセが 最近になって
 事故を防いだ。
 
  片側一車線にも満たない細い道を運転していたら、見通しの悪い交差点で
 右側から飛び出してきたバイクを撥(は)ねた。
  バイクはピザ配達のニイチャンで骨折入院。三輪バイクは全損。
 当方の車体は右前方部分が中破。
  警察での調書に「バイクが右側から飛び出してきて・・・」と書いたら
 「相手が飛び出してきた、と書いてはいけない。飛び出してきても事故
 にならない運転をしなければならないのだから」とのことだった(*1)。
  そういうものかと、それ以来道路が交差するところではスピードを
 落とすことにした。
 
  ある日、会社のエライサンを乗せて出張したとき、そのようにしたら、
 「キミ、こちらが優先道路だからスピードを落とさなくてよい」とのたまった(*2)。
 ”分かっていないな”と思い返事をしなかった。
 
  先日、前方左右とも見通しのよい、こちら側が優先の道路を走っていた。
 前方に交差点がある。右手側からくる車のスピードが少し速いなと思いながら
 いつものようにスピードを落とした。
  右手の車は一旦停止せずに交差点に突っ込んできた。が、余裕をもって
 交差した。スピードを落としていなかったら横腹に当てられていたケースだった。
 
  「お客様は神様」といわれて、自分が売り手に対して高慢になってはよくないと
 同じように、優先道路側だからコチラがエライ、と思わない運転が事故を防ぐと
 改めて思った。
 
  冒頭の外人が不思議に思う原因は、「個人の自由」や「自主性の尊重」ということの
 考え方の違いに由来するのだろう。
  当方は田舎の深夜の信号待ちはしない(通行人の場合)が、手押し信号の
 切り替わりは意識して待つことにしている(運転の場合)。
  ピザの、イヤ、子供の自転車が飛び出してくるかもしれないので。
 
 *1 この事故でのオトガメは一切なかった。ニイチャンの見舞いには行った。
 *2 のたまう(宣ふ/曰ふ)=本来は、言うという意味の尊敬語。
    近来は少し変化してきている、そうな。
 
07.04.11
オダヤカ二
 
  「文は人なり」という。
 
  先日読んだ「作文の技術」というような本には、
   「素直で平易な文章が読みやすく、もっともよい」
  と書いてあった。
 
   今日、新聞の老女87歳の投稿作文を読んでびっくりした。
  少し長いが、文体を損なうことなく要約すると、
 
    「こんにちは。ちょっと聞いていただけますか。
   私は先日87歳になりました。主人は96歳になります。
   私たち、結婚してから70回目の記念日を迎えました。
   戦前、戦中、戦後と波乱万丈の中も無事に過ごしてまいりました。
   三人の息子たちも、うえ二人は定年を迎えました。
   孫、ひ孫もでき、私たちも元気に暮らすことができまして、
   ありがたいことだと、ただただ感謝の毎日を過ごしております。
    本当に、晩年を迎えこんな平穏な生活を送ることができるとは
   夢にも思っておりませんでした。
   この平穏な暮らしが壊れることのない世の中であってほしいと
   願っています。そして、毎日感謝の気持ちを忘れないで暮らして
   いきたいと思っています。」
 
   まことに人柄が知れる文章ではないか。名文だと思った。
  「こんにちは。ちょっと聞いていただけますか。」という書き出しも面白いし、
  何より全体が平易でありながら、書き手の気持ちがしっかりと表されている。
  87歳の人がこのような名文を書けることに驚き、感心した。
  感心したので読み返してみた。平易になるようにあちこちに推敲の跡も。
 
   それにしても自分にもいつかこのような平易簡明な文章を書けるだろうか。
  「文は人柄」であるからには、この「作者のひとり言」にも当方の人品骨柄が
  現れていることになる。 とすると、より読みやすい文章を書けるようにもっと
  人間が穏やかにならなければならない。
 
    87歳までにはそうなりたいものだ。

  
  (引用文:07年4月10日中日新聞 「くらしの作文」より)
07.04.05
認知症と達観
 
   落合恵子(作家)が新聞に「母に歌う子守唄」というエッセイを連載している。
  母84歳,、認知症の介護日記である。タイトルがニクイ。
 
   この人の文章はうますぎて鼻につくところもあるが、内容は分かりやすい。
  たとえば、
   「生きていく上で重ねてきた苦しみや葛藤、確執や無念さから解き放たれて、
    母は今、大人には殺(そ)がれがちな、無心や無垢といった時空で遊んで
    いるのかもしれない。」
   
   「母にだって欲望や野心はあったに違いない。それらをひとつずつ殺ぎ落として
    彼女は今、認知症という時空を自由に遊泳している。」
  
  その認知症。
   痴呆症という言い方はまずい、というので認知症ということにしたようなのだが、
  いかにも舌足らずだと思う。「物事や考えを認知することが不完全な症状」なので
  あれば「認知不全症」というべきではないか。
 
   ともあれ、「認知症にはなった者勝ち」というし、「無心や無垢といった時空で
  遊ぶ認知症は、それまでの人生に対しての神様がくれた贈り物」ともいう。
  穏やかな表情の認知症の人は多分無垢、無心の心境だと思う。
 
   しかし、認知症にならないで四六時中無心や無垢の時空で遊ぶことができ
  ればもっとすばらしい。「達観の境地」というのか、そうなれるといいなと思う。
  あるブログに、
   「ま、利害関係がほとんど無いリタイアした身では、大抵のことはやり過ごす
  ことで対処できる・・・」
  とあった。 
  これなどは同年代の人の、やや諦めを含むが気持ちの処し方のひとつだと思う。
 
   さりながら、当方には「まだまだこれから」という気持ちが強くある。
  そういう気持ちがあると「欲望、野心、苦しみ、葛藤、確執、無念」等が付きまとう。
  付きまとわれつつ、神様からの贈り物を断り、自らの力で達観の境地へ辿り
  着けないものか、と上のエッセイを読んで考えた。
 
    ま、他人様の文章に「鼻につくところもある」などと言っているうちは
   とても無理だろうが。
 
07.04.03
博才と
チーズケーキ

 
   「あの人には博才がある」という言い方がある。
 
   博才(バクサイ)とは、博打(バクチ)に勝つ才能のこと。
  競艇好きだった横山やすしが言っていた。
  「記憶力がよくないと博打には勝てない」。
  そのとおりだと思う。
  当方は博打はやらない。博才がない。
  
   家で時々チーズケーキを作る。一番簡単なベークドタイプ専門。
  先日、久々に会心作ができた。
  シットリフンワリの食感、程よい甘さ。
  言うなれば喫茶店に出してもよいくらいのでき。(言い過ぎ、の声あり)。

      
 
   作り方は簡単だが、今までは焼き過ぎで固かったり、粉っぽかったり、
  ショッパかったりした。
 
   失敗するのは、材料の量や焼く温度・時間などが不適当だからだが、
  記憶力がよければ次回へ確実に反映できる。
  このあたりが博才の有無にも通づるところだと思う。
 
 
   覚えないくせに微妙なポイントのメモもしない。
  で、反省して今回は、材料の量や焼き温度・時間などを料理本のレシピどおり
  忠実に慎重にやった。
  それでうまくいった。
 
    やっぱり自分は株や競馬に手をだしてはいけないな、と思いながら
   シミジミ食べた。
 
   参考までに作り方を(18cm1個分)。
  1、材料:クリームチーズ一箱。生クリーム一箱。生卵二個。
    砂糖1/2カップ。小麦粉1/2カップ。
  2、これらをミキサーでしっかり混ぜ合わせる。
  3、オーブンレンジで175℃、45分間焼く。
  
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気まぐれダイアリー

 

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