まとめ
 以上、「あいもの」について、意味・用例・象形・音韻などから考えてみたが、結局はっきりとした結論には結びつけられなかった。ある地域特有の表現方法まで細かく調べて行けば結論めいたものにたどり着けるかもしれないが、身近な資料からではかなり困難である。また、特に氏名となるとかなり特異性を持った言語となっているはずである。一般的な共通性をそこに追求することは最終的に困難なことだかもしれない。それは一回性・単発的な原因によって形成されることも多々あるように感じるからである。あとは何を言っても結論付けられなかった事への言い訳になるだけなのでこのへんにしておこう。(^_^;)
 最後に、民俗学者の柳田国男が『米櫃と糧と菜』のなかで次のように述べている。
我々の居住地が拡張して、次第に魚を捕るに適せぬ山あい野の中を拓いて行ったこ とである。こうなると当然に交易は始まらなければならぬが、その方法には制限が あって、生魚は三里五里以上の山の向こふへは運び入れることが難しい。海辺の村 では御祭や祝ひの日に先立って、農村で米を搗き酒を醸すのと同様に、魚を捕りに出 る日を設けていたが、それができない土地に住むと貯蔵しなければならぬ。淡水魚 なら捕ってこられるのだが、妙に川魚の正式の消費といふものは少なかった。そこ で晴れの食事の海魚を供給するために、所謂アヒノモノ・イサバの商業は始まった。 四十物と書いてアイモノといふ理由はまだ判らぬが、アイは間であり中間の物といふ ことで、生魚の得られぬ土地の用に、乾かしたり鹽にしたりして置く海産物であった。 是なら又商品として可なりの遠方まで持って行き又保存して置くことが出来たのであ る。