インドの霊魂観 | バラモン・ヒンズー教 ウパニシャット哲学 | ||
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ヒンズー教の神話 抽象的な思考と空想的な想像を好むインド人には世界創造神話がたくさんあるようです。そのほとんどは先住民の土俗的神話と侵入者インド・ヨーロッパ語族の神話との混血です。代表的な説をあげます。 *黄金の胎児説 太初に(どこからかは分からないが)生まれた黄金の胎児は神々、万物の唯一の主である。彼は天地を安定させ、生命、力を与えた。 *巨大原人説 巨大な原人の口はバラモン、両腕は王族、武人階級、両腿は庶民となった。奴隷階級は両足から生まれた。頭は天界に、両足は地界に、耳は場所空間になった。 *意欲による創造説 太初の世界はなにも存在しない暗黒だった。暗黒の中で、自力で呼吸していた唯一物が熱の力で出生した。思考力の第一の種子である意欲は、この唯一物に出現した。彼は最高天でこの世界を監視するものである。 *人類起源説 太初のはじめには、ただひとり人の形をした自我だけがあった。彼は自分の体を二つに分けて男と女を作った。この二人が交わり人類が始まった。 *連鎖創造説 梵我より虚空が生まれ、虚空から風が生まれ、風から火が生まれ、火から水が生まれ、水から地が生まれ、地から野菜が生まれ、野菜から食べ物が生まれ、食べ物から人間が生まれた。 *最高神の指令による創造説 この世界の梵輪が転じるのは最高神の偉大な力によってである。最高神は全知全能で常に世界を覆う。彼の指令は地、水、火、風、空となって天地展開の事業を進展する。 *ブラフマー臍誕生説 その時(太初のことでしょう)世界は水に覆われていた。唯一者ヴィシュヌは瞑想の至福にひたって、4千ユガ(百七八十億年?)水上で眠っていたが、彼の臍から微細な原理が再び創造を開始しようと出現した。それは世界蓮となり、その中にヴィシュヌ神も入り込み、それから創造神ブラフマーが自力で生まれた。 *黄金の卵説 宇宙は、かって暗黒から成っていた。まず、水が生まれ、その中に種子が誕生した。種子は太陽に輝く黄金の卵となり、その中に一切の世界の祖父ブラフマンが水から誕生した。ブラフマンは黄金の卵のなかで一年を過ごした後、卵を二分し、殻の一方で天を、他方で地を作り、中間に中空、方角、海を配した。 バラモンたちが暇に飽かせて様々な空想をした様子が忍ばれます。最高神を作ったのはシャーマニズム時代の指導者バラモンの、自己正当化、権威付けという心理状態を反映しているようです。 |
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バラモン・ヒンズー教 人類の歴史上、魂についてもっとも考えたのはインド人かもしれません。呪術師バラモン達は、最高神、創造神ブラフマン(語源的には祈祷句の神秘的な呪力)と自分たちを同一視し、自然の神々を操れる力を持つものと考えたようです。バラモンという呼称は語源的には「ブラフマンの」という形容詞で、元々はブラフマンの忠実な祭祀者というような意味だったようですが、しだいにブラフマンの分身で神々を操る力を持つと考えるようになったようです。自己と最高神との同一視、これがその後のインド的思想を特徴付けることとなったのでしょう。 バラモンたちは呪術祭式を独占し、特権的階級となり、階級制度・カーストを形成したといわれます。そして、カーストの意味づけをより強化するため先住民発ともいわれる輪廻思想を「業」と結びつけたと考えられます。(業と輪廻という言葉を最初に使ったのは釈迦だとも言われます) 個人の魂「霊魂」を永遠者のそれと同一視するということは、必然的に個人の魂と『永遠』者の魂との関係について考えることになるでしょう。そして「個人の内界」即『永遠』のそれということになりまるでしょう。そうであるとすると「霊魂はなぜ『永遠』者であることを忘れてしまったのか、また『永遠』者であることを回復するにはどうしたらいいのか」が問題になります。それに答えるために意識者・精神的原理、アートマンと心・欲望原理を分離する思想が生まれたといえるでしょう。 紀元前五、六世紀頃、バラモン教に反抗して異論を唱える釈迦など自由思想家達が現れました。その多くはブラフマンの存在さえ否定しました。なかでも釈迦の教えは非バラモン階級に広がって、仏教としてバラモン教をしのぐ一大勢力となりました。 |
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超自然的な神、ブラフマンが登場し、カーストの元になっていた元々の民族神、ヴァルナ神に替わって創造神となり、最高神となったのは、インダス川地帯からガンジス川地帯への移動において、先住民族を征服するうえで大きな役割を果たした呪術師階級が、自分たちの力に自信を持ち、彼らの力の源泉であるブラフマ(祭祀に唱える祈祷や呪文、賛歌)こそ神であると信じたからでしょう。 しかし、紀元前七世紀頃、鉄器時代になって日バラモン的武士階級が勃興し、アートマン思想が登場しました。ウパニシャット哲学です。ウパニシャッド哲学は自由思想家を初めその後のインド哲学の源泉です。ギリシャ哲学と違って霊魂そのものに対する思想です。 |
ウパニシャト 哲人たちの代表はヤージナヴァルキャだといわれますが、最初期のシャーンディリアという人の思想に本質が現れています。 「人間は死を本質とするものである。すなわち、人間は、死後彼がこの世において意志した通りになるのである。だから人間は善き意志を持たなければならない」といい、「意を本質とし、生気を体とし、光明を色相とし、真実不虚の思慮をなし、虚空を主体とし、一切の行為を含み、一切の願望を包み、一切の嗅覚と一切の味覚をそなえ、一切万有を保持し、語無く、愛着なきもの、これがすなわち心臓の内部にある我がアートマン」であり、それは「米粒よりも、芥子粒よりも、キビ粒よりも、はたまたキビ粒の核よりも微少なものである。しかも、大地より大きく、光天界よりも大きく、これらの世界の全体よりも大きい」といいます。つまり、アートマンは無限に小さく無限に大きく、森羅万象を包むもの、すなわち梵(ブラフマン)と同一だといっています。ブラフマンは万有・宇宙を指す言葉ですが、アートマンは意思であり、意識であり、ブラフマンの本質であるという感じです。ここにバラモン的とクシャトリアの政権交代が現れています。 佐保田鶴治訳「ウパニシャット」より |