原始宗教時代、 |
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アニミズム・シャーマニズム すべての宗教の源は原始時代のアニミズム・シャーマニズムにあると言っていいでしょう。 夢と現実の境が曖昧なアニミズム・シャマニズムの時代において、復古神道の「一霊四魂」という考え方にあるように、心は、その様々な働きや状態がそれぞれ別である霊たちの集まりとして考えられていました。またそれぞれが五臓六腑に分かれて宿るという考え方もあったようです。 平安時代の医学書には「臓は蔵である。神は心臓に蔵る(やどる)」とあり、魂は肝に。精は腎に、魄は肺に、志は脾に宿るとされていたようです。六腑(消化器官)は「五臓の気を養う」役と考えられていたようです。胆のうは感情や意志が宿るところと考えられることが、世界中に多かったようです。特に心臓にもっとも精妙な霊が宿ると考えられることが多かったようです。日本語の「こころ」はコル(凝る)・ココル(凝こる)から来た言葉で、内臓の意味だったそうです。その呼称が心臓に定着し、心ということになったものです。 生命霊については、生殖霊と同一視され、頭にその座があると考えられていました。白っぽい脳の色が精液のそれに似ているからだといわれます。つまり精液は頭から出て、脊髄を下ってくるものだと考えられていたのです。そういえば魚の精巣、白子は脳に似ています。アニミズム・シャーマニズムにおいては首狩りは生命力・生産力増強のための、重要な行事だったと思われます。日本の戦国時代に行われた首級をとるというのも、敵の生命力を自分たちのものとすることを意味するようです。 「文化史の中の科学」から このようにアニミズム・シャーマニズム時代には心的な霊と「生命霊」は別のものと考えられていたのです。「個の魂」という感覚はなかったでしょう。 アニミズム・シャーマニズム時代は古代文明の誕生で頂点を迎えました。古代文明においては、部族的な祖霊信仰を超えた「最高神」が創造され、最高神のシャーマン王のもと祭祀政治が行われました。部族的な王(シャーマンでしょう)は統合され王侯貴族となったものとお思われます。いわゆる神話時代です。古代文明生成の歴史が神々の争いとして語られました。神々は欲望であり、神話時代は欲望の時代といえるでしょう。 |
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精神主義時代へ 古代文明の末期になると、地方の力が増し、王侯たちが覇権を争う戦乱の世になりました。最高神の権威は地に落ちてしまい、最高神を超える普遍的・根源的な存在が求められました。また、戦乱は人間の心の醜悪や苦悩を浮き上がらせました。それに呼応して「神霊」の中に理性的な存在が登場し、「個の魂」の主体に置かれることになりました。欲望を否定する精神的宗教時代の幕開けです。 この時代は人類の世界観の多様化の時代でもありました。特筆すべきことは、理性的霊魂を個の魂の主体と見るギリシャ哲学における魂と、絶対的唯心論・観念論ともいえる仏教思想の、神霊のみならず魂の実在を否定する思想が生まれたことです。また、老荘思想の実在「名なきもの」の無為自然という「無」の思想も大きな意味を持つものといえるでしょう。宗教としてはユダヤ教という唯一絶対神教の誕生によって、心と生命を一体に魂と見る考えが生まれたことです。仏教の影響を受けて成立した民族宗教において、ヒンズー教では「個の魂」における主体は真我(アートマン)、道教では精神と呼ばれるようになりました。 そして、現代的な意味での魂、すなわち心と生命は肉体的物質的で劣等な要素と見なされるようになりました。それはまた神話時代にはなかった「自己意識」の登場でもあるといえるでしょう。 |
アートマンの誕生はヒンズー教の前身であるバラモン教時代のウパニシャット哲学にあります。仏教もその影響の元に誕生したとみられます。 |