神道 | ||
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神道は伝統的な祖霊信仰から、仏教と道教の影響を受けて成立したといえるでしょう。特に、民族宗教という面で、仏教と対抗する意味でも、道教に見習うところが大きかったと思われます。記紀の日本神話もそれによって作られたことは明らかです。 道教には神霊的世界観とは別に、時空を超越する宇宙的実在、「タオ・気」という思想があります。「タオ・気」とは、いわばアニミズムと、アニミズム的宇宙化観の究極であり、形而上学化といえるでしょう。日本神道は「タオ・気」の思想を受け入れていません。アニミズムの形而上学化は文明発祥地のような多種多様な民族の抗争、信仰の葛藤から、それを克服する形で生まれるでしょう。しかし、日本では渡来人と原住民とは、お互いの信仰を抹殺することなく混交、あるいは併合するようにして同一化して祖霊信仰を育ててきたのですから形而上化の必要はなかったと思われます。 神道には輪廻転生思想はありません。あまり重要視されていないようですが祖霊の再生という考えのようです。死者の霊はそのまま霊界にしばらくいて浄化され、やがて常世(とこよ)の祖霊と一体化します。霊の浄化を助けるため祭事をするのが子孫の勤めとするのが祖霊信仰のスタイルです。神事仏事を大切にすれば、祖霊は子孫を守ってくれる、福を授けてくれるとも考えます。また霊界や常世は人界と離れた遠くにあるのではなく、裏表のように寄り添っているのです。つまり目的地として霊界や常世があるのではなく、現世と一体なのです。現実の「物事」と霊的な「もの・こと」は表裏一体なのです。ここに日本人の現世主義といわれるゆえんがあるようです。 アニミズム的祖霊信仰においては霊と現象世界とはほとんど一体です。その延長にある神道の最も重要な記号は「穢れ」といえるでしょう。「穢(ケガレ)」は霊的な汚れですが、現実の汚れと一体のようです。生病老死における苦しみ、事故災害など、この世の負の要素はすべて「穢(ケガレ)」によるものと考え、それを禊(ミソギ)し、お祓(ハライ)し、清めるのが重要な神事なのです。これ神道の原点といえるでしょう。ケガレとその対極であるハレという観念は陰陽思想の前段階ともいえます。 もう一つ神道思想には分霊という重要な観念があります。この分霊という考え方にこそ日本人の霊魂観、神道思想の特徴があるのではないかと思います。分霊思想の成立には、大和政権が成立するまでの歴史において、敗者の祖霊を破壊するのではなく、その上に自分たちの祖霊を置き、祀らせたという歴史があるかと思われます。神霊は無限に分けることが出来るし、いくら分けても元の性質や力は失われないのです。そうでなくては分祀による祖霊支配という意義も薄れてしまうでしょう。 「日本書紀」や祝詞には「荒御魂(アラミタマ)」や「和御魂(ニギミタマ)」、「奇御魂(クシミタマ)」や「幸御魂(サキミタマ)」という言葉があるということです。津島神社の社伝には、素戔嗚尊の荒霊(アラタマ)は出雲国に鎮まったが、和霊(ニギタマ)は最初対馬に鎮まり、DC540年に現在の地、津島に移ったとあります。つまり神霊はその要素によっても分霊するのです。 この考え方をもとにし成立したのが一霊四魂という、。幕末から明治に掛けて盛んになった、神道復権の気運に乗じて生まれた復古神道思想です。それによると万物の霊は『祖霊』である天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)に直接的に連なる「直霊(ナオヒ)」という一つの統括霊と、荒魂、和魂、奇魂、幸魂によって構成されているということです。直霊は善悪の判断をする霊のようですが、調子のいいときと悪いときがあるようで、間違いも犯すようで、正常に働かなくなると「曲霊(マガヒ)」に転じるといいます。また、霊の増減やそれによる成長という斬新な考え方(大本教)があります。道教の「気」と似ていますが、「気」には成長という考えはなかったように思います。 このように日本人にとって、すべての霊は祖霊につながるものだったと言っていいでしょう。神霊もまた祖霊からの別れです。自分の霊もまた祖霊からの分霊、つまり祖霊と自己の霊との間になんら本質的差異がなかったのです。何かによって生成するものではないし、永遠に消え去ることのないものなのです。日本的祖霊思想とは、すべての霊は「祖霊」の別れであり、森羅万象と霊魂は裏表一体の関係と見ることです。 日本的祖霊思想は、稲作文明の弥生時代に階級化の時代を迎えました。この階級化は大和政権によって、天孫族の祖霊を頂点とする形で完成されました。そこに日本民族の一体感も形成されたと言っていいでしょう。道教の神話的世界観は、大和政権が、様々な氏族的祖霊を統一する神統紀(日本書紀、古事記)を制作するのに使われました。その祭祀も祖霊を祭る行事として部分的に受け入れられたようです。しかし、天孫族神話ではそれぞれの氏神信仰を持つ豪族達を支配しきれるものではなかったのです。そこで国家統一のためにはより普遍的な神が要請されました。こうして日本的思想の主役は神道から仏教に移ることになったのです。 |
分霊の発展形態のような類霊という考え方が現在の心霊主義にはあるようです。 |
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伊勢神宮の成立について一言 伊勢神宮成立の歴史は複雑な経緯をたどったようで、はっきりしないようです。伊勢神宮の実際の成立は現在の形が成立した690年から698年ともいわれます。式年遷宮祭が初めて行われたのが持統天皇4年・690年のことです。 現在、神社神道の根拠とされている「記紀」(古事記・日本書紀)は天武天皇(673年〜686年)の命令で作られ始め、完成したのは8世紀初頭でした。その頃、伊勢神宮の祭神アマテラスは元は男神でしたが、天武天皇の皇后であった持統天皇という女帝の時(7世紀末)に、女神とされたという説が有力なようです。歴代の天皇の中で伊勢神宮に行幸したのはこの持統天皇(それと明治天皇、明治43年)だけだということです。それも近臣の反対をおしてのことだったそうです。大正天皇、昭和天皇、現天皇も行幸していません。皇室本来の祖神はタカミムスビノカミ(高御産巣日神)という父権的な神様だったともいわれます。なぜ天皇は伊勢神宮に参拝しないのか、天照大神を祖霊神としながらなぜ男系天皇を主張するのか、この辺に皇室の謎の理由があるのかもしれません。 持統天皇は非常に有能な人であったようです。日本を天皇を頂点とする統一国家とするための神話編集において、女権を主張したかったのかもしれません。平安時代以降に女性天皇が生まれなくなったのは、親子兄弟というの直系的継承ではなく、大臣達の協議によって広く皇族から擁立できるようにしたからではないかと思われます。現在でも、皇室を取り巻く環境は、タカミムスビノカミ系の、父権的、天孫族崇拝であり、軍隊的、階級崇拝的という男性原理によって成り立っているといえます。 |
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