インド仏教史概観 インド仏教を歴史的に見てみたいと思います。
      「仏教学辞典」(法蔵館)と「原始仏典」(中村元;ちくま学芸文庫)、「世界大百科事典」(平凡社)を基本参照とします。        
釈迦、原始仏教、部派仏教、説一切有部の思想、
大乗仏教、
 
 釈迦

 伝説の人物でしかない釈迦の実像を最もよく伝えるのは「私にはこれこれのことを説くということがない」という言葉でしょう。「これこれのこと」とは「神」の存在のような宇宙原理のことでしょう。宗教の始祖としてのこの言葉は現代にあってもユニークな感じを受けます。古代世界ではもっと新鮮な感じだったかもしれません。釈迦のこの姿勢の裏には何があるのでしょう。当時のインドには「六師外道」のような様々な世界観・宇宙観が生まれていたし、何よりも支配階級バラモンにはヴェーダ・ウパニシャッドの様々な宇宙創造神話がすでに存在したのです。彼らのあいだには激しい論争があったでしょう。しかし、現代のように科学が発達していなかった時代ですから、そのどれを正しいとするか判定する材料がほとんどありません。ただの空理空論で終わっていたのです。そういう空しい議論を合理的精神の持ち主だった釈迦は嫌ったのでしょう。
 
 釈迦自身のものと思われる仏教の根本精神は「苦からの自由」です。「一切苦」と釈迦が言ったかどうか分かりませんが(おそらく釈迦はそういう言い方をしなかったでしょう、これこれのことを説かないのですから)、生産力増大による人口増、それによる武士階級勢力拡大など、争いごとの多かったのが釈迦の時代でした。釈迦の目には世界は「苦」としか見えなかったのでしょう。釈迦はその「苦の原因」を追求し、その答を「世界は無常である」ことと「無常なものへの欲望と執着」に求めました。そこから自由になる方法はまずこの世界の「苦」について「思念する」ことだとしました。「思念によってもたらされる智慧」によって苦しみから自由になることができる」のです。これが彼の根本の考え方であったと思われます。釈迦が弟子たちに教えようとしたのは、この「苦の世界」に対する「思惟」の大切さだったのではないでしょうか。釈迦の「思惟」は合理的ではあっても抽象的理性ではなく、感性的・現実感覚的な理性によるものだったでしょう。彼の「思惟」が「苦」から始まったように、あくまで感性の人だったといえるでしょう。
 「私にはこれこれのことを説くということがない」と語ったいわれる釈迦の真意は、「あるがままの現実に真理があるのであって、見えない存在、神や原子・元素のようなものにあるではない」ということではないでしょうか。「伝承によるのではなく、いま目のあたりに体験されるこの理法を、わたしはそなたに説き明かすであろう。」(明らかに伝承聖典に依拠するバラモン教へのアンチテーゼです)という言葉のように、在りのままの現実にこそ真理、いや真理ではなく自然の「法則」を見たように思われます。その法則とは「ものごと」における「縁起」、「無常」であり、「こころ」における「欲望」と「無知」と、それによって起こる「苦」ということでしょう。世界は「無常」と「因縁生起(いんねんしようき)」というありのままの現実における真実によって何人も所有できないものだということでしょう。自分のものにできないものを自分のものにしようとするから苦しみが生まれるということでしょう。バラモン教なら、世界はブラフマン(梵我)のものといえますから、ブラフマンの分身であるアートマン(自我)のものといえます。

 釈迦は如来とも呼ばれますが、『如』とは「真如」という意味で、サンスクリット語「タタター(あるがままであること)」から「真如性」と漢訳され、「不変不改である真理」という意味になったといいます(ネット百科事典ウィキペディア)。
 真如は如実とも訳されるということですが、如実とは「実際そのまま」という意味が普通でしょう。「あるがままであること」を「そのままの現実」ととるのが普通だと思いますが、それを「真実で永遠不変のもの」と解釈することに違和感を感じます。しかし、よく「ありのままの自分を生きる」と言います。これは真の自分ということでしょうから、「タタター」を真理を意味しているともいえます。
 サンスクリット語の「タタター(tathata)」とは、「もののありのままのすがた。ものがある通りにおかれているあり方」という意味であると「仏教学辞典」(法蔵館)ではいいます。「ウイキペディア」では「あるがままであること」といいます。どちらにしても「そのまま持続する、不変不改」ということを意味するのか、「今ある現実。ありのままの現実」という意味かがはっきりしません。如実の実も、真実か現実か、はっきりしません。おそらく大乗仏教になってありのままの現実を意味しないということなのでしょう。
 釈迦を合理的な精神の持ち主とみるなら、彼が人々に教えたかったのは、現実をしっかり見て、よく考え、その法則に則って生きよということではないでしょうか。
 
 釈迦の時代には個人の行動と心の在り方の問題であった教えが、釈迦の死後宗教化し、時がたつにつれ『法』として世界原理へと祭り上げられて行ったようです。つまり仏教徒たちは伝承に基づいて「これこれのこと」を語り始めたのです。真実が超現実的真理になり、ありのままの現実が真理そのもの(相といわれるようです)と考えられるようになったのでしょう。仏教では「諸法」といえば具体的な存在を意味するようですから、「法」と現実世界を同一視するようになったのでしょう。世界を現実のままに観るのではなく、原理、「法」として「法」の立場から見るようになって行ったのです。プラトンのイデア論に似ています。違うのはイデア論のいう想起された似姿ではなく、真理そのものだという所でしょうか。
 ここで大きな疑問がわきます。想起し、認識する主体は何であるかということです。イデア論では理性という霊魂でしょう。原始仏教では何だったのでしょうか。釈迦はそれを論じることも拒否したでしょう。しかし、釈迦もまた自己観念があったはずです。彼には自己は因縁によって生じたものに過ぎなかったのでしょうか。あるいはバラモンの支配するアーリア民族とは違う、モンゴロイド的な、「自我」というものの存在しない、古来のアニミズム・シャーマニズム的霊魂観が生きていたのかもしれません。自我のない霊魂です。もちろんそれは現実には見えない世界ですから釈迦は語りませんでした。
 
 原始仏教
釈迦在世時の「法」に対する考え方は、物事の道理のようなものだったでしょう。「因果」の原因である「業」も、「無知」や「執着」も、そして「涅槃」も人間の生き方の上での問題だったのでしょう。法るべき道理、すなわち「理法」だったのでしょう。
 現実的な「理法」は釈迦の死後しだいに「四諦・八正道」などという真理の「法」として体系化されたようです。やがてこの精神的な「理法」は物象、世界現象全体にまで拡大され、「十二縁起」などという理念を生み出しました。こうして仏教は宗教的になって行ったのです。輪廻説もこの宗教化の過程で取り入れられたのでしょう。当然この頃には輪廻する主体である霊魂の存在は否定されていなかったでしょう。崇高なと形容されるブラフマン的な「慈悲心」という、後に大乗仏教において「如来・菩薩」の本質とされる仏教の徳目が登場したのもこの時代のようです。仏教界へのバラモン階級の進出が盛んだったことを覗(うかが)わせます。
 合理的な釈迦は死後のことも語らなかったようです。彼にとって「涅槃」は今ここの現実にあったでしょう。これが「無記」(超自然的・非現実的存在について語らないということのようです)といわれる釈迦の立場でしょう。しかし原始仏教末期には「生きているときの悟りは身体が残っているので完全ではなく、死後はじめて心身とも完全に解脱し、涅槃となる」としました。「涅槃」は単なる精神的境地ではなく、死後の世界という「世界」における一つの場所のようになったのです。「涅槃」という別天地を作ることによって仏教の宗教化は完成したと言っていいかもしれません。

 部派仏教
 釈迦の死後100年もたつと、仏教徒たちのあいだにおける「法」に対する解釈の違い、考えの違いが大きくなり部派を形成します。「あれこれのこと」を言って我を張る人が多くなったということでしょう。最大の問題は「法」を実体のあるものと考えるか、それとも実体のないものかということだったのではないでしょうか。結論として、「心自体」というものはないという、バラモンのアートマン思想の向こうを張った、自我否定・無我の思想もこのころ確立されたようです。自我につながる霊魂も否定され、非我は無我に転じ、「法」を世界の法則とする考え方が成立したようです。
 20近くもあったという部派仏教、アビダルマ哲学の代表といわれるのが説一切有部 です。
 

 説一切有部の思想
 三世実有・法体恒有(さんぜじつう・ほったいごうう)といって「法」は「実体」、本質として実在するという考え方をしていたようです。プラトンのイデアと違って、ありのままの世界を現象させるもののようです。五蘊、十二処、十八界などといわれるそれぞれの「法」が独立して存在し、それが集まって世界を現実態として成り立たせ、物と心をつなぐ「法」によって「心」に現象しているという考え方でしょうか。この派も「心自体」というものは否定しているようですが、「心の基体」なるものを設定したようです。「基体」とは奇体な概念です。どこか原子論的感じがします。物質は原子論によって説明されたということですが、「法」的な原子ということでしょう。
 三世実有・法体恒有とは「未来世の法が現在に現れて、一瞬間われわれに認識され、すぐに過去に去って行く」といいますが、「未来世の法」とは何でしょう。「仏教学辞典」(法蔵館)によると、この派の「三世」説は、まだ作用が起こらない(作動しない)状態の「法」を「未来法」というとしています。作用している状態が「現在法」、作用が終わった状態を「過去法」というということです。未来が決まっているということではなく、「法」は永遠に存在するが、現在の一瞬(刹那)にだけ集まって現実体として現象し、次の瞬間(刹那)には解体してしまう(滅する)ということのようです。
 ここで疑問が湧きます。「法の作用」は個別の「法」が偶然に、ばらばらに集まって作用し合って現象するのか、それとも全体的システムに法って集合して現象するのかということです。偶然では世界は無意味になってしまうでしょう。もし全体的「法」を認めることになると、それは「これこれのことを」語らなかった釈迦の精神に反するように思われます。それゆえ説一切有部はそこまで踏み込むことができなかったのでしょう。あるいは、絶対的実在は表現できないものという意識があったのかもしれません、釈迦がそれを語らなかったのですから。
 

 大乗仏教 中村元著・現代語訳大乗仏教「法華経」・「華厳経」−東京書籍、参照
 大乗思想はマウリア朝(紀元前317-180頃といわれる)時代、仏教庇護者として有名なアショーカ王時代に萌芽したのではないかと思われます。帝国の巨大化による生産力と流通の増大によるものでしょう。その頃は個々の思想家によるもので統一的なものではなかったと思われます。マウリア朝の首都のあるマガタ地方はカーストの影響の少ない自由なところであったといいます。前王朝はカースト最下層のシュードラ出身であったといいます。

 部派仏教では『法』の展開の上にすべては存在するのですが、この存在の因縁は、個別的であって、縦列的で、他者との関係性は「法」の共有を通した2次的なものに過ぎなかったいえるでしょう。「四諦の理を繰り返し研究考察することによって煩悩を断つ」というのですから、知的・精神的宗教だったといえます。
 しかし、西暦紀元前後には世界的にも人口の急激な増加があったようで、横の広がり、すなわち大衆社会が拡大しました。特に人口増は商人たちに莫大な富をもたらしたでしょう。したがって大衆救済の宗教が要請されるようになって来たと思われます。下層階級出身の仏道修行者も増えたことでしょう。その要請に応えるために仏教の大衆化、神秘化が必要となり、「如来」という考え方、そして「真如」という思想が生まれたのでしょう。
 大乗仏教の成立にはヒンズー教ばかりではなくゾロアスター教やキリスト教・ユダヤ教など西方渡来の宗教の影響も少なくないようです。
 思想的には小乗の縦思考に対して横の広がりを持つ「空の思想」、そして包括的な「唯識の思想」が現れました。
 
 大乗と小乗に、「大きな神秘的な力にすがりたい」大衆を救済するにおいて大きな差はないと思いますが、世界のすべてが関係性のなかにあるのなら、一人だけ覚って世界を去るのは正しい行いでは無いということでしょう。しかし、彼らのいう小乗の菩薩たちが自分だけ覚ればいいと思っていたわけではないでしょう。釈迦と同じように人々を正しい道に導こうとしていたことに変わりは無いでしょう。ただし小乗の菩薩たちは現世には真の涅槃はないとして釈迦の現世主義に背理していました。現世主義の大乗は大衆の願望、目に見える存在にそれを見たいという願望、「偶像崇拝」、「個人崇拝」という心に寄り添っているといえます。バラモン教との融合のようなものも感じさせます。大乗思想の誕生は仏教のヒンズー化の始まりといえるかもしれません。ただし仏教では「如来」という概念も方便に過ぎないとします。
 教団的には釈迦や修道者の呼称であった「如来」や「菩薩」の神格化が始まったと言えるでしょう。「常住不滅・永遠不滅」の超越的存在が、仏教世界に登場したのです。「般若経」や「維摩経」はその正当化と言えるでしょう。他にも様々な経典があったと思われます。それらがシルクロードの諸国を経て、中国に至るあいだに書き換えられたり、書き加えられたりしながら編纂されて「法華経」、「華厳経」となり、あるいは「無量寿経」、「阿弥陀経」へと展開したようです。
 インドでは空想的であったこれらの大乗経典は、中国で現実的な思想的解釈を施されたようです。日本に至ってはもっと現世主義的です。
 
大乗仏教の主要概念主要経典