日本の塔の特徴〜作りやすさの追求

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日本の塔の構造の特徴

派生塔 〜 標準化・モジュール化された塔

 隋(581〜618)の文帝は、80以上の地区に三回にわたって塔を建立したそうですが、この塔は首都で標準の形式を定めて、同時に着工されたそうです。大量生産のためには標準化が必要だったのでしょう。
 日本でも斑鳩の法起寺の三重塔の初重・二重・三重幅は、法隆寺の五重塔の初重・三重・五重幅と同じです。昭和になって再建された法輪寺の五重塔も同じように見えます。
法隆寺五重塔  法起寺三重塔  法輪寺三重塔

法隆寺五重塔     法起寺三重塔     法輪寺三重塔

飛鳥時代の標準品?      法隆寺の派生?     西岡常一棟梁の再建




法隆寺軒組 法起寺軒組

法隆寺五重塔の軒組

飛鳥の標準?

法起寺三重塔の軒組

法隆寺そっくり




 
また、奈良時代の国分寺の塔址には奈良の元興寺の五重小塔の10倍の寸法を持つものが多く見られるそうです。もちろん聖武天皇の発願では各国に一斉に七重塔を作ることになっていたのですが、実際は必ずしも七重ではなかったようです。この小塔が規格品のひな形として使われたのではなどと推測したくなります。
 もっと時代が下がって、尾道市の西国寺三重塔(15世紀)の初重・二重・三重幅も、厳島神社の五重塔の初重・三重・五重幅と同じです。
厳島神社五重塔 元興寺五重小塔

厳島神社五重塔

15世紀の標準品?

元興寺五重小塔

高さ5m程度。国分寺用標準タイプのひな形?

組み物寸法の標準化

 もっと時代が下がると、垂木の間隔を一枝として、これを単位にした寸法体系で塔を組み上げる枝割法という方法が用いられました。出処が良くわからないのですが、瑠璃光寺資料館で買った五重塔の構造図の中に「本瓦葺・三手先標準五重塔」などという図面があります。最近のもののようですが、標準化はここまで進んでいるということでしょうか。

作り方の合理化〜櫓のような組み方

 初期の塔では、上の層の側柱は下の層の地垂木の上に置かれた柱盤の上に立てられています。逆にいうと、地垂木を施行してからでないと上の層は組めないことになります。地垂木は軒の先のほうまで伸びる部材ですから、結局 軒を作ってからでないと上の層に進めないのです。また、上の層の側柱の高さは垂木で決まることになりますから、垂木に軒の重さがかかって多少なりとも勾配が変わると、上の層の高さが変わってしまいます。これらは、作るものにとって不便だったにちがいありません。
 近世の塔になると四天柱の上に載せた張り出し梁の上に上層の四天柱を立て、上層の側柱は下層の組み物の上に立てるという櫓のような組み方が登場してきます。この方法でいけば、組み物だけを組んだ段階で上層を次々に組んでいって塔身だけを先に立ち上げてしまうことが可能になり、面倒な垂木と屋根は塔全体を立ち上げた後で施行することが可能になります。施行の省力化になったでしょうし、柱と梁で塔の高さが決まるので寸法精度の向上が図れたでしょう。
 この構造が広まった頃には平面面積に対して塔の高さが高くなっていく傾向になっています。塔の見栄えの面での安定感は悪くなったと見る人が多いようですが、構造的には難しい塔が建てられるようになったという面では進歩でしょう。この変化は城郭建築が発達したことと関係があるのかも知れません。
備中国分寺断面
 このように、塔の構造が大きく変わった後も塔の外観が大きく変わることはありませんでした。

備中国分寺五重塔の構造


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Last Updated :  12-Jan-2003 by Naoki Okada