宇宙人 |
UFOには様々な説があります。そのうち、高度な知能を持つエイリアンの乗り物としての、UFOがここでの問題です。単なる乗り物ではなく、相対性理論からエイリアンのタイムマシンの可能性を信じている人も少なくないようです。しかし、理論と現実を混同するのは愚かなことです。理論的可能性などは量子力学の証明を待つまでもなく真理でさえないのです。魂があるのか無いのかという問題と同じように、UFOの存在も証明不可能です。存在する統計的確率はきわめて低いことでしょう。
問題は見たという人の存在とその証拠写真です。UFOの写真の多くはインチキであるという説が有力ですが、まだ解明されてないものもあるようですが、おそらく何らかの光学現象だと考えられていますが、その実在を信じている人もいることでしょう。
証拠写真はなくても自分は本当に見たと信じている人が少なくないようです。錯覚や、光学現象、あるいは変成意識的な幻覚ということもあると考えられます。しかし個人的(数人のこともあるようです)体験のことですから、それを証明することはできません。
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しかし、根本的問題はエイリアンは存在するのかしないのかということでしょう。UFOを作れるほど高度の文明を持った生命体が存在するとしたら、人類全体とのコンタクトを避ける理由があるのでしょうか。例えばアメリカの蒸気船など、その当時の日本人にはUFOと同じでしょう。蒸気船は日本国との通商を望みました。普通ならエイリアンも地球人との交流を望むはずです。
エイリアンが人類との交流を望まないのは人類があまりにも下等だからとか、残虐だからとかいううのがよく言われる説明です。「動物園仮説」などがその典型ですが、ばかばかしいことで、下等なら指導しようとするでしょう。キリスト教の伝道師たちがアジアへアフリカへと教化のために出かけたように、それが自然の心というものでしょう。もちろん唯物論的世界観にはこうした心理的理解はできませんから、何でもありでしょうが、生命論的世界観では心理的理解は不可欠なものとなるでしょう。 |
もっと突っ込んで言いますと、太陽系を遙か遠く離れた星々に住んでいると考えられている宇宙人の存在さえ怪しいものです。夜空に輝く無数の星たちを見ていると、宇宙には数知れない生命体がいるだろうという気持ちになります。しかし、量子力学的な言い方をすれば、太陽や月の実在さえ怪しいのです。事物の存在、世界の存在は、一つの条件付けされた、モデルセットされた映像なのです。まして、太陽や月には波動関数という情報源がありますが、それさえない宇宙人やUFOなど根拠を持たない想像に過ぎません。
『宇宙』・『永遠』 にとって我々人類とは何でしょう。宇宙に存在する無数の知的生命体、その中であぶくのように生まれ死ぬだけの存在でしょうか。それでは『私』というものの尊厳はないも同然ではないですか。『永遠』にとってその自我である『私』が重要な存在なら、地球外に知的生命体の必要性はないはずです。第一この地球上だけでも知りたいことやりたいことが、そして悲劇と喜劇も無数にあるのに、これ以上世界が広がったらどうしようもないでしょう。地球の自然は驚異と奇跡に充ち満ちているのです。外界だけではなく、内的世界、心の世界もまた無限の神秘です。これ以上どこに知的生命体の必要性があるでしょう。
おそらく、無限の宇宙とは無知な魂に夢を追わせるためにあるものなのでしょう。
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