変成意識

魂とか霊魂というとすぐに体外離脱や幽体離脱のような臨死体験を思い浮かべるのが一般的でしょう。実際に魂が体から離れることだと思う人もいるし、単なる妄想だという人もいるでしょう。では真実はどちらなのでしょう。実は、これはそう簡単な問題ではないようです。その答えははアインシュタインの量子力学者への問い、「月はそれを見ているときだけ存在すると本当に思うのか」という謎にあるように思われます。この謎の解明は『無』について知らなければ始まらないでしょう。『無』とは「無意識」のことであり、なかんずく「意識でない」領域の無意識(『無意識』と表記します)ですが、この『無意識』は脳にあるのではなく『魂』にあるのです。

量子力学によって明らかにされたように、「世界はそれを見ているときだけ存在する」のです。アインシュタインがそれを理解できなかったのは「神」を信じていたからでしょう。「神」は「宇宙創造」行為無くしてはあり得ないからです。
また、「実在は認識できない」ということも明らかにされました。このことは意識無意識の関係においてもいえます。『無意識』は意識にとって実在です。『無意識』は認識できないのです。意識されていることは意識者(量子力学で言う観測者)その人の状況、心や身体の調子、環境などによって変わるものです。もちろん、それほど差の無い平均的一般的な、普遍的な意識というものもあるでしょう。それは『無意識』の実在からの要請に添うものといえるものだと思われます。しかし、状況によっては様々な「変性意識状態」が現れることになります。
意識と無
世の中には「魂」のことはともかく「意識」というものさえ存在しないと思っている人が少なからずいるようで驚きです。魂の発達段階が低く、情念や想念にとらわれて、まったく自己意識を持たない人なのでしょう。人は何かにとらわれているとき、例えば音楽に熱中しているときなどのように、その意識を持たないものです。ここでは、自己意識とは自分の心にあることを意識している意識を意識しているというようなことです。人間以外の動物には自己意識はないと思われます。
ただしそれが本当かどうかは分かりません。自己意識は他人には絶対分からないこと、証明不可能なことで、自己申告以外にはありません。このことは科学的証明不可能な世界があるということの推論的証明にもなりうるでしょう。
が、しかし、頑迷な唯物論者ならそれもいつかは証明できると思っているでしょう。たとえば脳波からそれを解読できるような装置が発明されだろうというようにです。

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神秘主義者たちは日常を幻覚と見、変成意識状態こそ真実だと主張するといいますが、どちらも実在そのものではなく観念というものです。日常意識は『永遠』の『身体性』から来る普遍的なもので、『肉体性』という意味で実在といえますが、変成意識は個人的心理状態から現象するもので、実在から変成したものです。しかし変成意識を単なる幻覚と片付けることはできません。日常意識を外的信号からのものとするなら、変成意識は内的信号によるものです。夢も同じと考えます。
それではUFOは幻覚でしょうか?ということについては宇宙人のページで考えます。